第96章 年越し
陽が落ちて夜が近づいていた。
早く城へ戻らねばならないと分かってはいたが、村人達の申し出が心からのものであることも分かっていたため、無碍に断ることも憚られた。
「信長様…」
朱里は心配そうに信長の袖を引く。
村人達が信長を慕う様を見られたことは嬉しかったが、暗くなると今日中に城へ戻れなくなるかもしれない。
(黙って出てきたから、きっと秀吉さんが心配してる。明日の朝は年始の会もあるし、ここで遅くなる訳にはいかないわ)
「ん…そうだな、少しぐらいなら…」
(ええっ…信長様、大丈夫なの…?)
「よかった!では参りましょう。神社はすぐ近くですので」
嬉しそうに顔を綻ばせた村長の後に続いて歩き出そうとする信長の腕を掴み、朱里は慌てて引き止める。
「の、信長様!?いいんですか?これ以上遅くなったら、お城へ戻れません。秀吉さんが心配するし、年始の会に間に合わなくなったら一大事ですよ??」
「民からの誘いを断るわけにはいかん。秀吉には知らせを出す」
知らせなんてどうやって?と朱里が訝しげに首を傾げた、その時…
信長は徐にピィーッと口笛を吹いた。
夕闇の中、微かに聞こえた羽音が少しずつ大きくなって近づいてきた瞬間、信長は悠然と腕を前に突き出した。
空から舞い降りた大きな黒い影は、躊躇うことなく一直線に信長の腕の上に収まった。
「羽黒っ!」
空から突如現れたのは、信長の愛鷹『羽黒』だった。
「羽黒、お前、一緒に来ていたのね」
「羽黒は夜目が利く。神社に着いたら、文を認める。それを羽黒に届けさせる」
村人達は突如空から現れた鷹に驚き、信長達を遠巻きに見ている。
村人達の好奇の視線を物ともせず、信長の腕の上で、羽黒は堂々とした佇まいで真っ直ぐ前を見つめていた。