第96章 年越し
「陽が落ちるのが早いな。そろそろ戻るか」
太陽が隠れると辺りの気温も急速に下がるようで、頬に当たる風がひやりと冷たい。
思わず首を竦めた私の顔を信長様が覗き込む。
「寒いか?」
片手で手綱を握りながら、もう片方の手の甲で朱里の頬を撫でる。
冷たくなった頬と、はぁっと白い息を吐く唇が儚げで、朱里の華奢な身体を抱く腕に力を込める。
「ん…大丈夫です。少し風が冷たいぐらい。ん?あ、あれ…この村の人達でしょうか?もう日暮れなのに皆、連れ立ってどこに行くんでしょう?」
馬をゆっくり歩ませながら領地の村の近くを通りかかると、数人の村人がぞろぞろと連れ立って歩いているのが見えた。
「ん?あぁ…あれは今から『年籠り』に向かうのだろう。この先にこの辺りの氏神の神社があるはずだからな」
「『年籠り』ですか…」
年籠りとは、大晦日の夜から元日の朝にかけて、神社に泊まり込んで、新年に向けて氏神様をお迎えすることだ。その家の家長の男性が神社に赴き、一晩寝ずに祈りを捧げるのだ。
(信長様は織田家の家長だけど、毎年、年籠りはなさらないし、武将達からも年籠りの話を聞いたことはなかったから、織田の領地ではそういう風習はないのかと思っていたのだけど…民達の間では行われていたのね)
「こ、これは信長様っ…このようなところにお越しになるとは…」
神社に向かっていた一団のうち、この村の長とおぼしき男性が信長様の姿に気が付いて慌てて駆けてくる。
「ただの通りすがりだ、気遣いはいらん。貴様らは今から年籠りへ向かうのか?」
「はい、お詣りにはまだ少し早い時間ではございますが、皆で集まって年越しの会をしようということになりまして…」
「ほぅ…」
信長様たちの話を聞いている村人達の顔を見ていると、皆、愉しげな表情をしている。新しい年を迎える希望に満ちたその様子に、見ているこちらもほっこりした気分になってくる。
「年の瀬だが、皆、困り事などはないか?」
「はい!日頃から信長様には何かと気に掛けていただいておりますので、今年も無事に年が越せそうです」
「そうか、ならばよい。何かあれば遠慮なく申せ」
「ありがとうございます。あのっ、信長様…よろしければ、我らの年越しの会に寄って行っては下さりませぬか?大したおもてなしは出来ませぬが…」
「ん?そうか……」