第96章 年越し
「あっ、誤解しないで下さいね。今の生活に不満があるとかじゃないですよ?むしろ逆です。信長様と出逢わなければ、私は一生、お城の中の生活しか知らなかったかもしれません。視察で領地を巡ったり、京や堺の町を見る機会もなかったでしょう。風を切って馬を駆けさせる心地良さも…信長様と一緒でなければきっと分からなかった」
「朱里……」
「信長様が見せて下さる世界は、私にとって全てが目新しくて…貴方と共に過ごす日々は、どこにいても幸福に満ちていて…私の世界は決して狭くはないと思っています。
それに…信長様はいずれ私に日ノ本の外の世界を見せて下さるのでしょう?」
信長様の夢は、海を渡り、日ノ本の外の国々を見て回ることだ。
日ノ本の統治が落ち着いたら、いつか一緒に異国へ行こうと約束して下さった。
「ふふ…私は信長様と一緒なら、どこへでも行けますよ」
「ふっ…そうだな。貴様と海を渡る日もそう遠くはないだろう。朱里、俺も貴様と一緒なら、どこへでも行ける。海を渡り、この世の果てまでも…な」
「信長様っ…」
信長様の逞しい腕の中に包まれたまま、遥か遠くの地平線を見つめる。いつの間にか陽は西に傾き、地平線に近くなった太陽が空を茜色に染め始めていた。
眼前に広がる平原は遮るものもなく、どこまでも続いているように見える。
地の終わり、この世の果てを見る日がいつか訪れるのだろうか。
(私にはまだ、知らないことが多過ぎる。でも、それでいい。この先もずっと、信長様と一緒に新しいものを見ていくのだから…)
「……もう、陽が沈んでしまいますね」
「今年最後の夕陽だな。貴様と共に見ることができてよかった。陽は沈み、やがてまた昇る。明日の朝陽もまた、共に見よう。来年も再来年も、そのまた先までも…ずっと一緒だ、朱里」
「っ…はいっ…」
冬の一日は短い。陽が落ちれば、あっという間に夕闇が迫ってくるだろう。知らぬ間に遠くまで来ていた。
そろそろ城へ戻らなくては…そう思いながらも、愛しい人との二人だけの時間が大切で尊くて…『帰ろう』と自分から言い出すことなど、私にはできなかった。