第96章 年越し
「……祈りが済んだのなら、さっさと引き上げるぞ」
「もぅ…信長様ったら…ふふ…次に尾張に行く時は、きちんとお墓参りもさせて下さいね?」
「全く…酔狂なやつだ。墓など、それこそ形だけのものだ。固く冷たい土の中に朽ちた骨が埋まっているだけではないか。父も兄弟達も…もう誰一人として、その想いはそこには存在していない」
「信長様……」
信長様の視線が、私の肩越しに、立ち並ぶ位牌の数々に向けられていることに気付きながらも、私は何と言ってよいのか分からなかった。
その眼差しは憂いを帯びていて、私には、少し物哀しげに見えたから……
信長様のお父上様には側室も多く、子も数多おられたので、信長様にはご兄弟も多かったが、その多くは今や相次ぐ戦で亡くなられている。
信長様自身も、織田家の親族筋とは一定の距離を置いて接しておられ、親族だからといって特別扱いされることもないから、妻となって何年も経つというのに私にも分からないことは多かったのだ。
「……行くぞ、朱里」
「は、はいっ…」
くるりと踵を返し廊下へ出た信長は、もはや後ろを振り返えろうともしない。
私はもう一度仏壇に手を合わせてから、急いで蝋燭の火を消して仏間を後にした。
「っ…信長様っ、待って…待って下さい…」
足早に前を歩いていく信長様に追いつこうと、打掛の裾を引いて廊下を進んでいた私は、廊下の先でいきなり立ち止まった信長様の背中にドンっと盛大にぶつかった。
「っつ!いったぁ…もう、なに!?何で急に立ち止まって…」
「シッ!静かにしろ、奴に見つかる」
「………………」
(は?奴?見つかるって…信長様ったら、何してるの…)
信長様はくるりと振り向いて私の口を手の平で押さえると、私の身体を羽交締めにして近くの部屋にするりと滑り込んだ。
『ん"んーっ…何なの、一体!?』
突然の無体な扱いに混乱してジタバタする私を物ともせず、信長様は私を引き摺って部屋の隅に身を潜める。
(この事態は何なのだろう…一体何が起こってるのだろうか)