第95章 雪の日に
どのぐらい眠っていたのだろう、まだ夢うつつの意識の中で額の上にひんやりとした冷たい感触を感じて、秀吉は布団の中で身動いだ。
「う、ん………」
熱を持った身体は想像以上に気怠く、鉛のように重かった。
(くっ…少し眠ってたみたいだが…あんまり変らねぇな。家康の薬、まだ効いてないのか…)
重たい目蓋をゆっくりと持ち上げて目を開けると、見慣れた自室の天井が見える。
額の上に置かれた濡れた手拭いが冷たくて心地良かった。
「………目が覚めたか?」
「っ………御館様?」
予想もしていなかった呼びかけの声に、驚いて顔を向けると、布団の傍らに胡座を掻いて座る信長の姿があった。
常と変わらぬ鷹揚な態度で、当たり前のようにそこに座る信長に、秀吉は何と言ってよいのか分からず目を瞬かせる。
(これは夢か…御館様がこんなところにいらっしゃるなんて、俺はまだ眠ってて夢を見てるのだろうか)
「御館様…どう、なさったのですか?何故…」
「具合はどうだ?まだ熱は下がらぬか?」
「あ…はい、まだ…あの、それより何故ここに?城でご政務中では?」
「もう終わった。今年の仕事は全て片付いた。貴様が居らずとも、どうということはなかった」
「…そう…ですか…」
起き上がろうとする秀吉を、信長は強引に制する。
淡々と話す信長の口調はいつもと変わらないものだったが、病のせいで気持ちが弱っていた秀吉には、何となく冷たく感じてしまい、思わず目を伏せてしまった。
「っ…申し訳、ありませんっ…」
「謝罪などいらん。早く治せ。年が明けても、やることは山ほどあるぞ。貴様が城におらねば、皆がやりたい放題で収拾がつかん。
年の瀬だというのに光秀は姿を消すし、三成は貴様の代わりに茶を淹れようとして茶葉を溢れさせる。家康は三成に盛大に嫌味を言うわ、政宗は時間どおりに軍議に来ぬわ…全く収まりが付かん」
「はは…それはまた…」
その光景が頭に浮かんでしまった秀吉は、苦笑いを浮かべるしかない。
「彼奴ら、貴様に叱言を言われねば物足りんらしい」
信長は、くくっ、と可笑しそうに笑う。
「朱里も心配しておる。貴様、朱里に憂い顔をさせるとは罪深いぞ」
「はっ…申し訳、ございません…」
朱里の不安そうな顔が思い浮かんで、チクッと胸が微かな痛みを覚える。
(大事な妹分に心配かけちまって…情けねぇな)