第95章 雪の日に
「うっ…ゴホッ、ゲホッ…」
「秀吉様っ、起き上がってはいけません。さあ、横になって…」
隙を見ては布団から起き上がろうとする秀吉を、千鶴は慌てて押し留める。もう何度目か分からないこのやり取りを、信長の命により見舞いに訪れてからずっと繰り返している。
「すまん、千鶴。俺は寝ているわけにはいかんのだ。御館様のお傍に行かねばっ…ご政務が…」
「その御館様からの御命令ですよ。ゆっくり静養致せ、と」
「うぅ…しかし…っ、ゴホッゴホッ…」
苦しそうに咳き込む秀吉の背中を摩りながら、千鶴は心配そうに顔を覗き込む。
『秀吉さんが体調を崩して寝込んでいるから、お見舞いに行ってほしい』
奥方様からそう言われて慌てて駆け付けると、御殿の中は大騒ぎだった。
ゴホゴホと激しく咳き込みながら起き上がろうとする秀吉様と、それを必死で引き止める家臣達とで、一悶着が起きていたのだ。
奥方様からのお見舞いの品と家康様が処方して下さった薬を渡すと一旦は大人しく横になって下さったが、どうにも落ち着かないらしく、すぐに起き上がろうとなさる。
(熱もあるし、見るからにお辛そうなのに…)
御館様のことがどうしても気になるらしい。
「秀吉様、お願いですから今日は一日ゆっくりお休み下さい。熱があるのに登城なさって、万が一、御館様に風邪がうつったら…どうなさるおつもりですか?」
少しきつい言い方かもしれないが、これぐらい言わないと秀吉様は聞いて下さらないだろうと思い、千鶴は敢えて冷たく諭すように言う。
「あ、あぁ…そうか、そうだよな…御館様にうつすわけには、いかないよな…そうか…」
叱られた子犬のように、しゅんと項垂れる秀吉の姿に千鶴はキュンと胸がときめくのを抑えられない。
(あぁ…私はなんて不謹慎なんだろう。秀吉様が落ち込んでいらっしゃるのを見てドキドキするなんて…普段と違う弱々しいお姿を可愛いと思ってしまうなんて…)
千鶴にとって、普段の秀吉は優しくて頼り甲斐のある人なのだった。
「秀吉様、今はゆっくり休んで早く治しましょう。御館様もきっとご心配なさってますよ」
「お、おぅ…そうだな。御館様にご心配をお掛けするなど…家臣として不甲斐ないな」
納得してくれたのか、大人しく布団に入ろうとする秀吉を見て、千鶴も安堵の息を吐く。
(っ…よかった、休む気になって下さって…)