第94章 聖なる夜の願い事
(『イエス様の御降誕』……って?)
「神の子イエスが、聖母マリアの胎から生まれ落ち、この世界に降り立たれた…その瞬間を模したものですね。ここにも、その場面が描かれた絵画などがありますよ」
そう言ってフロイスが指し示した先には、壁に一枚の絵画が飾られていた。
「わっ、本当だ。同じですね」
「我々信者にとって、イエス様の御降誕は大変意味のあるものですから…こうして絵画や人形の形で表され、広く皆が知るところとなっているのです」
「なるほどな。聖書とやらには神の教えが書いてあるらしいが、民達の中には読み書きが出来ぬ者もおる。貴様らが日々行っておる説教に加え、こうした絵や偶像はそういった者達へ神の教えを伝える助けともなっているわけだな」
「はい、その通りでございます。実は今、聖書を日ノ本の言葉に訳す試みを致しております。完成しましたら、信長様にも是非見ていただきたいです」
フロイス神父は、キラキラと輝く希望に満ちた目で語る。
「己の信じる信仰のために努力を惜しまぬ貴様らの姿勢は、非常に好ましくて良い。完成したら俺に一番に見せよ」
「はいっ、ありがとうございます!」
(ふふ…神父様、嬉しそう。信長様はどのような信仰に対しても常に中立でいらっしゃる。日ノ本の政に介入しようとしなければ、異国の宗教にも寛大な方だから)
改めて、信長の器の大きさを実感する。
世間的には、横暴で独断専行な印象が強い信長だが、実際の信長は他人の話を聞くことを厭わない人だ。
比叡山の焼き討ちや一向一揆に対する根切りなど、宗教勢力に対する冷酷な仕置きをもって信長を残虐だと言う者は多い。
だが、信長は当初から厳しい仕置きを命じたわけではなく、対話による解決を模索していたらしい。
けれども、互いの思いは理解し合えぬまま衝突し、織田軍も多大な犠牲を被った。
これ以上兵達を失うわけにはいかなかったから、信長様は強硬な処置を行う決断をなされたのだ。
『御館様は常に冷静だった。天下布武のため、ただひたすらに己が成すべきことを成すのみだ、と仰られてな。御館様はどのような時も決して揺るがぬ御方だ』
秀吉さんはそんな風に言っていたけど…信長様が迷われなかったはずはないと私は思っている。
迷い、悩み…それでも非情にならねばならなかった。
想いを隠し、心を凍らせて…
己が大望を実現するために……