第93章 緋色の恋情
人里の方へ下り、今宵泊まる宿へと着いた私達を、宿のご主人は玄関先へ走り出て出迎えてくれた。
「信長様っ…ようこそお越し下さいました。此度は奥方様や御子様方もご一緒にお泊まりいただけると、誠にありがたき誉れでございますっ…ありがとうございます!」
「そう堅苦しくせずともよい。私的な旅だ。あまり大仰にはしたくない」
「は、はいっ…仰せのままに」
「ご主人、お世話になります。赤子が一緒ですので何かと面倒をかけるかもしれませんが…宜しくお願いします」
「そんなっ…勿体ないお言葉でございます、奥方様。おおっ、こちらが若君様でございますね、何とお可愛らしいっ!」
「ふふっ…ありがとうございます」
(親しみやすい宿でよかった。信長様はご主人とも面識があるみたいだけど…泊まられたことがあるのかしら)
ご主人の案内で部屋へ向かいながら信長様を見ると、迷いのない足取りで廊下を歩いておられる。
「あの、信長様?こちらの宿にはお泊まりになったことがあるのですか?」
「ん?あぁ、以前、鷹狩りの帰りに立ち寄ったことがある。泊まるのは初めてだがな。趣があって良いところだろう?いつか貴様と一緒に泊まりたいと思っていた」
「っ……」
率直な物言いに嬉しくて言葉に詰まってしまう。
何だか今日の信長様は格別優しい気がする。
子供達が身近にいるためか、いつものような意地悪な悪戯もなさらない。少し拍子抜けしてしまうぐらいに…優しい。
(優しい信長様は好き。でも…意地悪されないと物足りない…なんて私、変なのかしら…)
望んでいた家族水入らずの旅なのに、信長様との甘い時間も欲しいと望んでしまうとは、なんと欲深いことだろうか。
はしゃぐ結華の手を引きながら、信長様はさり気なく子供の歩幅に合わせて歩いておられる。
その優しさに、見ている私の胸の内もまた、ポカポカと暖かくなるのだった。