第93章 緋色の恋情
「結華、この山のものは全て、この山に住む者のものだ。人には動物たちに優る力があるが、己の力を過信してはならぬ。決して傲慢になってはならぬ。人もまた動物たちと同じ、この自然の力を借りて、日々生きているのだから」
「………」
「今はまだ分からずともよい。結華には沢山のどんぐりは不要だろう?特に気に入った、美しいものを少しだけ選び、持ち帰るがよい」
「…はい、父上」
「結華、綺麗などんぐり、一緒に選ぼうか?葉っぱも、ね?」
父に叱られたと感じたのか、結華はキュッと唇を引き結んで下を向いてしまう。
傍へ行き、そっと寄り添ってやると、私の着物の袖を掴みながら俯いてじっと足元を見ている。
林の方を見てみれば、先程の小猿はもう姿を消していた。
信長様は天下人として、今や並ぶ者のない地位も権勢も、その手に納められている。
多くの大名がその傘下、同盟下にあり、京の都でも比類なき名声を得ておられる。
今や、信長様が望まれて手に入らぬものなどこの世にないだろう。
けれど…信長様ご自身は、決して傲慢にはなられていない。
結華を優しく諭す言葉を聞いて、改めてそう実感する。
全てを奪う力を手に入れても、信長様は奪われる者の悲しみを誰よりも理解されているから…
(世間では、全てを奪う強欲な魔王だなどと言われていらっしゃるけれど…真実の信長様はそうではない。信長様のお考えが、結華に少しでも伝わったならいいのだけれど……)
天下人の娘として生まれ、生まれながらに皆に愛され、何不自由なく成長してきた。
城の中では皆が好意的で、誰もが結華を大切に思ってくれている。
けれど、これからもっと大きくなり外の世界へ出るようになれば、様々な人に出逢うだろう。
好意的な人ばかりではない。悪意のある者、冷酷な者…沢山の人に出逢って、これから結華は大人になっていくのだ。
人は一人では生きていけない。
生かされているのだ。
だからこそ、傲慢にならず、周りのもの全てに感謝して生きていける子になってほしい。