第93章 緋色の恋情
「この辺りは流石に涼しいな。日が沈めばかなり肌寒くなるだろう。子らに風邪など引かせぬようにせねばな」
「そうですね。でも今はまだ陽射しもありますし、山の中は空気が澄んでいて気持ちがいいですね。なんていうか、滝の水飛沫からも澄んだ空気が流れてくるみたいで、心が落ち着きます」
すうーっと大きく息を吸って、澄み切った空気を身体に取り込んだ朱里は、気持ち良さそうに手足を大きく伸ばしてみせる。
「ふっ…貴様はまた、子供のように…」
「あっ……」
(やだ、私ったら…はしたなかったかな。つい、開放的な気分になっちゃった…)
袖口が乱れた着物をこそっと直していると、
「母上ーっ!見て見て、綺麗な葉っぱ、あったよ〜」
色とりどりの秋色の葉っぱを見つけた結華は、キラキラと輝く愉しげな笑顔を見せながら落ち葉拾いを始めていた。
結華の足元には、赤や黄色の落ち葉が見事な織物のように広がっている。
「わぁ…綺麗だね」
近くに寄ってみれば、落ち葉の他にもどんぐりや小さな木の実などもたくさん落ちていて、結華は夢中になって拾っている。
結華にとって、城の外でこんな風に自然に触れるのは初めてのことだった。
(ふふ…結華、本当に愉しそう。連れて来てよかったな)
子供らしい愉しげな笑顔を見せる結華を見てほっこりした気持ちになっていたその時だった。
ーガサッ…キキッ…
「きゃあ!」
「えっ…何?え、ええっ!?さ、猿っ?」
突如、林の中から躍り出た小さな黒い影が、結華が山のように集めていたどんぐりを奪っていったのだ。
慌てて目で追うと、木の影に隠れてこちらの様子を窺っていたそれは、小さな猿だった。
「信長様っ…さ、猿が…」
「あぁ、この辺りの山には猿どもの群れがあるようだ。人里に下りて悪さをせねば、問題ない」
「父上っ!結華のどんぐり、盗られちゃった!」
ぷうっと頬を膨らませて不満げな顔を見せる結華に、信長は鷹揚に諭す。
「結華、山に住む猿どもにとって、どんぐりは貴重な食料なのだ。それがなければ生きてはいけぬ。結華は、どんぐりは食べられぬであろう?ならばそれは結華のものではないのだから、彼奴らに盗られても文句を言ってはならん」
「だって…いっぱい集めたの、結華だもん。横から盗っていくなんて、ずるいよ…」
大好きな父に諭されて肩を落としながらも、反論する。