第92章 帯解き
渋る商館長を説得して、信長様が宿所にされている部屋へと案内してもらう。
扉を開けると、ふわりと香の香りがする。
(っ…信長様の香り…)
数日ぶりに嗅ぐ、信長様の伽羅の香の香りに、グッと胸が締め付けられる。
早く逢いたい。
納屋衆との宴席ということは、今宵は遅くなられるのだろうか…
お会いしたら、自分の気持ちを素直に伝えよう。
でも…どんな風に言ったら上手く伝わるのだろうか。
気持ちを伝えるって難しい。
あの夜、信長様に愛されて本当に幸せだった。
久しぶりの交わりで、身も心もたくさん満たされた。
信長様も同じだと思っていた。
だから…酔っていて覚えていないと言われて、すごく悲しかったのだ。気持ちがすれ違ってしまったような気がして、自分でもどうしていいか分からなくて素っ気ない態度を取ってしまった。
もやもやと悩ましい思いを抱えたまま、信長様の姿を思い浮かべては深く溜め息を吐く。
(私はやっぱり信長様が好き。だからもう、つまらない意地を張るのはやめよう)
「朱里っ…朱里っ…」
優しく名を呼ぶ深みのある声とともに、微かに感じる身体を揺さぶる手の感触に、意識が少しずつ集中していく。
「朱里っ…起きよ」
(ん……この声…信長さま…?私…どうしたんだっけ…?)
「ん………」
重い目蓋をゆっくりと持ち上げて薄目を開くと、そこには私の顔を覗き込む、逢いたくて堪らなかった愛しい人の顔があった。
「っ…信長様っ!」
(やだっ…私、眠っちゃってた!?今、何刻なの!?)
信長様のお帰りを待つつもりが、卓に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。
半日、久しぶりの馬に揺られて疲れが溜まっていたのだろうか、信長様のことを考えながらもウトウトと眠気を感じたことまでは覚えているが…そのまま眠っていたようだ。
「ごめんなさいっ…私…あの、お帰りなさい、信長様」
「あ?あぁ……全く…貴様という奴は……」
「えっ?」
呆れたように『はあぁぁ…』と大きく息を吐き出した信長様は、次の瞬間、黙って私を抱き締めた。
「あっ………」
ぎゅぅぅっと強く深く、胸元に抱き込まれて信長様の香りが鼻腔を擽る。
逢いたくて堪らなかった人の腕の中にいる、その実感にジワジワと胸の奥から熱いものが込み上げてくる。