第92章 帯解き
(今日こそ、信長様とちゃんと話をしよう!)
朝日が射し込む自室で朝の身支度を整えながら、私はそう考えていた。
つまらない意地を張って信長様を避けているうちに、政務がお忙しくなられてしまい、一目逢うこともままならなくなってしまった。
信長様の方も、逢いに来ては下さらない。
(自分から避けておいて、来て下さらないのが寂しい、なんて…私、自分勝手過ぎるよね…)
信長様を責めても仕方がないのだ。
覚えておられないことを責めたところで、何も変わらないのだから。
それでも…割り切れない自分の心を持て余して、自分から歩み寄ることができなかった。
顔を合わせるのが気まずくて朝餉も別々にしていたのを、今朝は思い切って広間へと行ってみる。
部屋の中へ入ると、武将達は既に揃っていて食事が始まっていたが、上座には何故か信長様の姿はなかった。
(あれ?おかしいな、信長様がまだなのに…)
信長様が上座に着かれないと始まらないはずの食事が、信長様不在のまま始まっている。これは一体どういうことだろうか。
「おっ、朱里、どうした?今朝は一緒に食べるのか?」
温かな湯気が上がる汁物の器を手にした政宗が、目ざとく気がついて声をかけてくれた。
「朱里っ…どうしたんだ?何かあったのか?」
さっと立ち上がって傍に来てくれた秀吉さんは、心配そうに私の顔を覗き込む。
「秀吉さん…あの、信長様は?」
「えっ?御館様なら今朝早く堺へ発たれたぞ。異国との大きな商談があってな、光秀がお供してる……聞いてなかったか?」
「えっ…堺?こんなに早い時間に?っ…知らなかった…」
まさか信長様がもう城内にいらっしゃらないなんて、思ってもみなかった。
視察などで城を留守にされる時は、絶対に教えて下さっていたのに
…黙って出かけられるなんて。
「秀吉さん、信長様はいつお戻りになるの?今日中にはお帰りになるんでしょう?」
日帰りだからわざわざ伝えなかったのかもしれないと少しの期待を滲ませて聞いてみる。
「っ…いや、商談の進捗状況にもよるけど、今宵は商館にお泊まりだろう。今井宗久をはじめ、納屋衆の面々が御館様へお目通りを願い出ているようだからな。数日はかかるかもしれない」
「そうなの……?」
申し訳なさそうに言う秀吉さんの言葉が胸に痛い。