第92章 帯解き
気怠そうに身を起こす信長を、秀吉はハラハラしつつ見守っていた。
起き上がった拍子に頭痛がしたのだろうか、顔を顰めて身体を強張らせる姿に、もう居ても立っても居られない。
「御館様っ、お辛いようでしたら今朝はもう少しお休みになられては?家康に言って、二日酔いに効く薬湯を作ってもらいましょう」
「たわけっ、二日酔いごときで休んでいられるか!薬湯もいらん。まぁ、不味くなければ飲んでやってもよいが」
「は、はぁ……」
(大丈夫なんだろうか…言い出したら聞かない御方だからな。御館様が言うことを聞かれる相手は朱里ぐらいだけど……ん?そういえば朱里はどこだ?…いないのか?)
まだ朝の早い時間だ。秀吉が毎朝迎えに来る時間には、朱里もいつも天主にいるのだが……
「あのぅ、御館様?朱里はいないのですか…?」
秀吉が恐る恐る朱里の名を口にした瞬間、これ以上ないほどの不機嫌さで信長に睨まれる。
(うっ…怖ぇ…これは、何かあったな……)
見たところ、吉法師様もまだ眠っておられるようだ。
朱里が吉法師様を置いていくなど、余程のことがあったに違いない。
滅多に喧嘩などされない、目のやり場に困るほどに仲睦まじいお二人だし、何といっても昨日は結華様のめでたい晴れの日だったのだから、喧嘩などなさる要素はないように思えるのだが……
着替えを始めた信長を手伝いながら、秀吉は昨夜の宴の様子を思い出していた。
(御館様、随分飲んでいらしたな。顔色などはお変わりなかったが、珍しく酔っておられたみたいだし……っ、皆の前で俺に今すぐ祝言を挙げろって言われたりして…あれ、本気だったのかな?)
千鶴との祝言の仲立ちをしてやる、早く決めろ、といつにも増して強引だった。
(なかなか進展しない俺達の仲を気にかけて下さっているんだろうけど…正直あれは参ったな)
千鶴とは、いずれは夫婦になりたいと考えているが、それはまだ先のこと、御館様と天下のことが落ち着いてから、だと思っている。
(仲立ちを、と言って下さった御館様のご好意は有り難いが、今はまだご遠慮しよう…)
「……おい、秀吉。何をぼんやりしている?」
頭上から降ってきた、低く威圧感のある声にハッとして顔を上げると、信長は既に着替えを済ませており、その顔には相変わらず不機嫌さを滲ませている。