第92章 帯解き
朱里が飛び出していき、シンっと静まり返った寝所で、信長は所在なさげに寝台の上で胡座を掻いていた。
吉法師はスヤスヤと小さな寝息を立てて眠っている。
慌ただしく出ていってしまった母のことなどお構いなしの、穏やかで可愛らしい寝顔だった。
「はあぁ……」
腹の底から吐き出すような深い溜め息を吐いて、信長はゴロンっと寝台に倒れ込む。
寝転んだ拍子にズキっと頭が痛み、思わず顔を顰める。
そのまま大の字になって頭痛が治まるのを待ちながら、先程の朱里とのやり取りを思い返していた。
(俺としたことが抜かったな。酔って記憶をなくすなど、とんだ失態だ。朱里の機嫌を損ねてしまったのは些か拙かった。それに…宴の場で、おかしなことをしていなければよいのだが…)
「御館様、おはようございます。秀吉です」
襖の向こうから聞こえた忠臣のいつもどおりの挨拶に、信長は身体を横たえたままで答える。
「入れ、秀吉」
「はっ!失礼致しますっ…と、あっ、すみませんっ、まだお休みでしたか??」
襖を開けて入ってきた秀吉は、寝台に寝転んだままの主君の姿を見て、慌ててその場に平伏する。
頭を下げながらも、秀吉は非常に驚いていた。
朝の日課であるお迎えで、信長が起きていないことなど、これまでなかったからだ。
「御館様っ、どこかお加減でもお悪いのですか?あぁ!少しお顔の色も悪いような……」
「大事ない、もう起きる。くっ…秀吉、あまり大きな声で喋るな」
「……へ?どうなさったんで…す、あっ、二日酔い…ですか?」
こめかみの辺りを押さえて、悩ましげに顔を顰める信長の様子に、昨夜の酒宴での姿が思い浮かぶ。
昨夜は随分と酒がすすんでおられた様子だった。
朱里と共に退室される際には、かなり足元がふらついておられて、大丈夫かと案じていたのだ。
やはりまだ酒が残っておられたのかと、心配そうに様子を窺おうとするが、すぐさまギロリと睨まれてしまい、秀吉は慌てて頭を下げた。
(何か、恐ろしく機嫌悪いな…どうしたっていうんだ。二日酔いのせいか…?)
酒に酔った信長を見る機会など、これまでになかった。
いつもならどれだけ飲んでも顔色一つ変わらず、翌日も平然と政務をこなされていたものだが、昨夜は余程飲まれたのだろうか…