第92章 帯解き
「朱里、ここにいたのか?」
「秀吉さんっ…」
部屋の入り口から声がしたので振り向くと、ニッコリ笑った秀吉さんがちょうど入ってくるところだった。
「どうしたの?何かあった?秀吉さん」
「ん、明日の打ち合わせしとこうと思ってな…あぁ、これが明日の衣装か?これは、見事だな…結華の愛らしさが、一層際立つだろうなぁ…」
「ふふ…ありがとう。結華は信長様によく似てるから、この衣装を着たら、きっとすごく大人びて見えるわね」
着物に合わせて帯飾りや髪留めなども新調したが、どれも凝った細工物で、可愛いだけでなく大人っぽい意匠のものを選んである。
信長様と同じ深紅の瞳と艶やかな黒髪を持つ結華に、さぞ映えることだろう。
「なんか……感慨深いな。少し前まで赤子だった気がするのに、もうそんな歳なんだよな…子供の成長って、ほんと早いよな」
しみじみと言う秀吉さんは、自分が父親みたいな感極まった顔をしている。
(ふふ…世話焼きの秀吉さんらしいな。でも、秀吉さんには随分と助けてもらってきたから…)
「そうだね。親になるまで分からなかったけど、子供って、あっという間に大きくなるんだよね。どんどん成長して、いつかは私達の手を離れていく日が来るんだなって考えると少し寂しいけど…」
華やかな衣装を見つめながらも、何だかしんみりとしてしまった。
「まだまだ先のことを今から案じてどうする、朱里」
「信長様っ…」
いつの間に来られていたのだろうか、羽織を翻し颯爽と部屋の中に入って来た信長様は、どことなく不機嫌そうだった。
(あれ?どうなさったんだろう…?)
不思議に思って表情を窺うが、衣桁に掛かった結華の着物を見るその顔は、すぐに口元に満足そうな笑みを浮かべる。
「良い着物だな。結華によく似合うだろう…他の者に見せるのが惜しいぐらいにな」
「まぁ!またそんなこと仰って…結華の晴れの日なのですから、沢山の人に見て頂かないと…」
明日、天満宮で祈祷を受けるにあたり、信長様は結華を人前に出すのが、ご不満のようだった。
『ただでさえ公家衆や大名家からの縁談話がひっきりなしに届いて気に入らんのに、城下で見初められでもしたらどうするのだ!』
大層な剣幕で怒りを露わにする信長に、朱里は呆れてものが言えなかった。
(もぅ!今からそんなに心配して…過保護すぎるよっ!?)