第91章 家族
天主に着いた信長は、音を立てないように注意して襖を引き開ける。
静かな室内に足を踏み入れると、そのまま真っ直ぐに寝所の方へと歩いていった。
(静かだな…眠っているのだろうか)
「………朱里?」
小さく呼びかけて襖を開けるが、答えはない。
寝台の側まで歩いていき、横になっている朱里の顔をそっと覗き込むと、朱里はやはり眠っていた。
額に濡れた手拭いを乗せて、硬く口元を引き結んでいるが、その表情は穏やかそうに見える。
見たところ顔色も悪くなく、呼吸も乱れてはいないようだ。
一見穏やかそうな朱里の様子に少し安堵しつつ、信長は部屋の角に置いてあった西洋式の椅子を引っ張ってきて寝台の横に置き、どんっと腰を下ろした。
そうして、眠る朱里の寝顔を飽きることなく見つめる。
時折、温くなってしまった額の手拭いを交換しながら、朱里の様子を見守る。
手拭いを交換する際に触れた額は、まだ少し熱っぽかった。
掛布の外に出ていた手に、起こさぬようにそっと触れる。
手の甲ですりすりと摩ってから、上からそおっと手を重ねた。
(一人にして、すまなかった。すぐに戻ると言っておきながら…俺はとんだ嘘つきだったな……)
吉法師の世話に予想以上に手を取られたとはいえ、計らずも朱里に嘘を吐いてしまった。
身体の辛さに堪えながら俺が来るのを待っていたのではないかと思うと、罪悪感で心がグラグラと揺れる。
「……のぶながさま…?」
「っ…朱里っ…目が覚めたか?」
寝起きの少し掠れた声に反応して顔を覗き込むと、朱里はぼんやりとしながらも目を開けていて、信長を見ると嬉しそうに微笑んだ。
「っ……」
その花が綻ぶような柔らかな笑みが、信長の心を打つ。
「来て下さったのですね…嬉しい」
「っ…すまん、遅くなった。すぐ戻る、一人にはせぬと言っておきながら…俺は貴様に嘘を吐いた」
「まぁ!嘘だなんて大袈裟な…ふふ…」
神妙な顔をして謝る信長の様子が珍しくて、可笑しくて、思わず笑みが溢れてしまう。
「こうして来て下さったのだから、信長様は嘘つきじゃないですよ。ふふふ…」
「………まだ熱は下がらぬか?」
「まだ少し熱っぽいですけど…家康の薬湯を飲んだので大丈夫です」
「あぁ…あれは恐ろしく苦いが、効くからな。全く酷い味だが…」
その味を思い出したのか、ひどく顔を顰める。