第91章 家族
そんな風に予想外に吉法師に振り回されていたために、信長はすっかり忘れていたのだ…愛する朱里を見舞うのを。
天主を出た時は、吉法師を千鶴に預けたらすぐに朱里のところへ戻って、傍についていてやるつもりだったのだ。
産後ひと時も休まず吉法師の世話をする朱里の体調を秘かに案じていた。
季節の変わり目とはいえ、風邪を引くなど、身体がよほど疲れていたに違いない。
ゆっくり休ませて、手ずから看病してやりたいと思っていたのだが……赤子の世話にこれほどに手を取られるとは、正直思っていなかった。
熱にうなされていないだろうか。
朝より体調が悪化して、辛い思いをしているのではないだろうか。
一人で心細い思いをしているのではないか。
吉法師を抱っこして機嫌を取りながらも、朱里のことが気がかりでならなかった。
……が、それも始めのうちだけであり、吉法師に振り回されて自分の行動もままならない状況にイライラしているうちに、いつしかそれどころではなくなっていた。
「全く…貴様はいつになったら眠るのだ。我が儘にも程があるぞ」
ぐずる吉法師の額を、思わず指先で突っついて大人げない不満を溢してしまう。
「ふっ、ふぇ…うわぁーんっ…」
「くっ…俺としたことが…」
火がついたように泣き出した吉法師を前に、もはや成す術もなく立ち尽くすしかなかった。
(この俺が、赤子にこうも手こずるとは情けない)
やはり赤子というものは、母親でなければならぬものなのか。
俺に任せろと見栄を切ったものの、吉法師の世話は母親である朱里にしか出来ぬのかもしれない。
今からでも朱里の元へ連れて行くべきなのだろうか。
だが、それでは朱里が養生できぬし、吉法師に風邪が移るようなことになっても拙い。
これしきのことで根を上げたと思われるのも、癪に触る。
全く、厄介なことになったものだと、深い溜め息とともに独り言ちる信長だった。