第91章 家族
「千鶴、朱里が体調を崩しておるゆえ、今日は一日休ませる。貴様、吉法師の世話を手伝え」
「は、はいっ!畏まりましてございます。では、御館様、奥方様の代わりに若様に乳を差し上げる者をお探し下さいませ。
若様にはまだ頻繁に乳を差し上げねばなりませんので」
「分かった、それは秀吉、貴様に任せる。直ちに城下へ行って探してこい」
「ははぁ…」
早速に城下へ向かう秀吉と、朱里の様子を見に行く家康を見送り、信長は己の腕に抱いた吉法師に目を向ける。
(眠ったか……)
いつの間にか眠りについていた吉法師は、穏やかな寝息を立てている。
「千鶴、吉法師の布団を持ってこい。ここで寝かせる」
今日はここで吉法師の世話をしながら政務を片付けようと決めた信長は、それが波乱に満ちた一日の幕開けだとは予想だにしていなかった。
「ふえっ…ふぇ〜ん……」
(何故だ、何故起きる??)
千鶴が用意した布団の上に置いた瞬間、ぱちりと目を開けた吉法師に、信長は愕然として目を見張る。
もう何度目だろうか…またもや、寝たと思って布団に置いた途端に目を覚まして泣き出した吉法師を、信長は呆れたように見下ろしていた。
(此奴、背中に目でもあるのか…結華もなかなか寝ぬ子であったが、ここまでではなかったぞ…)
朱里は簡単に寝かし付けていたように見えたのだが、一体何が違うというのだろうか。
泣く声がどんどん大きくなるのに耐えかねて、渋々抱き上げて広間の中をぐるぐると歩き出すと、吉法師は、またすぐに泣き止んでウトウトし始める。
延々とこれを繰り返し、信長は落ち着いて座っている暇もなかった。
吉法師が寝ている間に片付けようと思い執務室から運ばせた報告書は、いまだ手付かずのまま文机の上にうず高く積まれているのだった。
「はぁ……」
生来あまり我慢強い性質(たち)ではない。
子を持って少しは変わったとはいえ、気が短い性格はそうそう劇的に変わるものではないのだ。
一向に寝ない我が子に段々と苛立ちが募ってくる。
「何なのだ…貴様は何がそんなに気に入らんのだ…」
「ふぇぇ…ふぇ…」
顔をくしゃりと歪ませて今にも泣き出しそうな吉法師を抱いたまま、途方に暮れる。
その姿はおよそ『魔王』に似つかわしくない、頼りないものだった。