第91章 家族
「あ、あの…全部、終えられたのですか?」
「全部、だ。貴様こそ、こんなところで油を売ってないで、さっさと仕事に戻れ」
「ははっ…申し訳ございません」
あたふたと部屋を出て行く秀吉を、呆気に取られて見ているうちに信長はさっさと結華の隣に腰を下ろし、吉法師の寝顔を覗き込んでいた。
「よう眠っておるな」
「はい…寝付きが良い子で助かります」
「くくっ…そこは俺には似ておらんようだな」
ニヤリと口の端を緩めて笑むと、隣で同じく吉法師の寝顔を見つめていた結華を抱き上げて膝の上に乗せる。
そのまま、いつものように小さな身体をぎゅうっと抱き締めた信長は、可愛い娘との至福の時間を堪能するつもりだったのだが、予想に反して腕の中の結華はイヤイヤと窮屈そうに身を捩る。
「やぁ…下ろして、父上!結華、もうお姉ちゃんだもん。父上のお膝なんて乗らないもん…」
「なっ……」
「あらあら…ふふ…結華ったら、そんな急に…」
「おい、笑い事ではないぞ、朱里。くっ…よもやこんな日が来ようとは…」
娘からの突然の拒絶に愕然とする信長の腕の中から、結華はするりと抜け出ていく。
信長が呆然としている横で、結華は眠る吉法師の傍へ戻り、その寝顔をニコニコしながら見ている。
ガックリと肩を落とし悲壮感を漂わせる信長が可笑しくて、いけないと思いながらも口元が緩んでしまっていた。
「…………貴様、面白がっている場合ではないぞ。全く…この俺が赤子に遅れを取るとは…こやつ、なかなか侮れぬな」
苦々しい顔で吉法師の福福とした頬をチョンと突く。
「あぁっ…ダメですよ、信長様ったら…起きちゃうじゃないですかっ!」
「これぐらいで起きるわけが……」
「ふぅ…ふぇ…ふぇーんっ…!」
吉法師はむずがった様子で顔をくしゃりと歪ませたかと思うと、次の瞬間火が付いたように泣き出した。
「ああぁ!やだ、もう…せっかく寝てたのに!」
「父上っ!」
「…………」
妻と娘から非難がましい目で見られ、信長は苦虫を噛み潰したような何とも言えない顔をしながら二人から目を逸らした。
機嫌を損ねて泣き出した吉法師を抱き上げて優しく話しかけ、ゆらゆらと揺らしながら部屋の中を歩き始めた朱里と、母の後をついて歩きながら弟の様子を心配そうに見守る結華を、信長は所在なげに見つめていた。