第90章 月に揺らぐ
ここ最近の自分を振り返ってみても、実に大人げない。
大きな腹を抱えて忙しなく立ち働く朱里を見ていて、心配で堪らなかった。
ようやく安定したとはいえ、大事なこの時期に腹の子に何かあったら…朱里の身に何かあったら…と不安だったし、一人で頑張って俺を頼ろうともしないことも不満だった。
十月十日(とつきとうか)の間、腹の中に子を宿し、その成長を毎日身をもって感じている女子は、日々確実に母として強くなっていくのだろう。
男はお産の役には立たぬ、黙ってただ見守っていろ、と何かにつけて言われることも複雑な心境だった。
妻として母としての役割をきちんと果たそうとする朱里を見ていて、頼もしくもあり、心配でもあり…何もしてやれぬ自分が不甲斐なくもあった。
もっと頼って欲しい、もっと甘えて欲しい。
口には出せないそういうモヤモヤとした気持ちのまま、朱里にきつく当たってしまった。
不安そうに俺の顔色を窺う朱里を見てズキリと胸が痛んだが、優しい言葉の一つもかけてやれなかった。
(本当に…朱里のことになると俺は余裕がなくなるようだ)
「…んっ…信長さま…?」
隣で眠っていた朱里が身動ぐ気配に、ハッと意識を浮上させる。
どうやら目が覚めたようだ。
まだ寝惚けているのか、ぼんやりとした目を擦っている。
その子供みたいな仕草の何と愛らしいことか…
思わず、せっかく取っていた距離を呆気なく縮めて、後ろからその華奢な身体に手を回すと、耳朶を軽く食みながら耳元で囁いてしまった。
「……おはよう、朱里」
「っ…ひゃぁ…やっ…んっ…」
(我ながら、俺も懲りんな…よくないと分かっているのに、こういうことをしてしまうのだから…)
内心苦笑いしながら、それでも朱里に触れる手は止められない。
これはもう病かもしれない。
『愛しい女に触れないと生きていけない病』
そんな馬鹿なことを考えてしまうほどに、俺は目の前の愛らしい女に心底溺れているらしい。