第90章 月に揺らぐ
月を見ながら義母上様に話を聞いてもらい、少し落ち着きを取り戻した私は、義母上様と別れ、一人になってからも縁側に座って、ぼんやりと月を眺めていた。
明るく光り輝く月の光を浴びていると、心の中まで綺麗に洗われるかのような澄んだ心地がする。
遠く本丸御殿で行われている宴の喧騒は、ここまでは聞こえてこないが、夜も更けて宴もそろそろお開きになる時刻だった。
(そろそろ終わる頃かしら…今宵は、信長様はもう…お越しにはならないだろうか……)
逢いたい
気まずい雰囲気のまま別れてしまった。
聞きたいことも、伝えたいことも…たくさんある。
(信長様っ………)
頭上に浮かぶ美しい月に願いをかけるように、じっと見つめていると……………
「……………朱里?」
遠慮がちに呼びかける、少し掠れた低い声に慌てて振り向くと、信長様がゆっくりとした足取りで、部屋の中に入って来るところだった。
少し足元がふらついて頼りなさげに見えるのは、酔っておられるからだろうか…珍しくお顔もほんのり赤いようだ。
「信長様っ…あっ………」
いきなり、ふわりと抱き締められる。
微かに香る酒の匂いと、信長様のいつもより高めの体温が、私の心も体も酔わせる。
「朱里っ…どこにも行くなっ…俺から離れるな」
絞り出すような声で耳元で囁く信長様の声は、ひどく切なげで…頼りなく揺れていた。
「信長様……どうなさいました?酔っていらっしゃるのですか?」
「…………少し、な」
「私は…どこにも行きませんよ。貴方のお傍以外、行くところなどございませんもの」
「…………月を見上げる貴様が、まるで輝夜姫のように見えた。天から迎えが来て…俺の手が届かぬところへ行ってしまうのではないかと……ひどく不安になった。くっ…こんな戯れ言を言うなど…思った以上に酒が回っているようだな」
自嘲気味に呟く声が切なくて愛しくて…その広い背中に腕を回してぎゅうっと抱き締め返した。
「っ…朱里?」
「少し横になられては? こちらへ……どうぞ?」
ポンポンと自身の膝を叩いてみせる。
「いや、それは……」
「大丈夫ですよ」
お腹が大きくなってからは、気を遣ってくれていたのか、信長様が私に膝枕を所望されることはなくなっていた。
正直言って大きなお腹がつっかえて苦しいけど…信長様の心が癒されるなら平気だった。