第90章 月に揺らぐ
満ち足りた気持ちで三人のやり取りを聞いていた私に、信長様は思い出したように言う。
「朱里、急だが明日の夜、宴を開くことになった。明日は十五夜ゆえ、本丸御殿の庭を開放し観月の宴とする。母上の歓迎も兼ねてな」
「まぁ!それはいいですね!では早速に準備を…」
(お月見団子は当然いるよね…ススキや桔梗、萩の花など、秋の七草も用意して、と……)
頭の中で愉しいお月見の様子を想像するだけでウキウキしてきた私は、こうしてはいられないとばかりに勢いよく立ち上がろうとした。
「あっ!わっ…と…」
前に大きく突き出たお腹を抱えて急に立ち上がったせいで、血が下がって目の前が真っ暗になった私は、くらりと立ち眩みを起こしてしまった。
「朱里っ!」
視界が闇に遮られフラッと倒れそうになった私の身体を、信長様の逞しい腕がガシッと抱き留める。
頬が信長様の胸元に触れた拍子に、ドクドクと煩く騒ぐ胸の鼓動が遠くに聞こえた。
「大丈夫かっ?」
「朱里殿!?」
「ごめんなさい、ちょっと立ち眩みが…」
「たわけっ、急に立ち上がる奴があるか!一体、どうしたというのだ?」
「や、あの…宴の準備をしようと思って…」
「はぁ!?貴様…自覚がないにも程があるぞ…身重の身体なのだから、少しは大人しくできぬのか!?倒れて身体を打ちでもしたら何とする?もういつ産まれてもおかしくない時期だと、家康にも言われておるであろうがっ…」
「そ、そんなに怒らなくても…」
「宴の準備などは、秀吉らに任せておけばよい。政宗も秋らしい料理を作ると張り切っておったわ」
「私も少しぐらい手伝いたいんですけど……」
「だ、か、ら……貴様は大人しくしておれ」
「ううっ……」
もの凄い剣幕で怒ってくる信長様に若干引きながらも、義母上様にも心配そうな目で見つめられて、居た堪れなかった。
「まぁまぁ、信長殿。あまりきついことを仰っては、朱里殿が可哀想ですよ。懐妊中は血の巡りが悪くなると言うから…立ち眩みなど起こしやすいのじゃ。朱里殿、少し横になって休まれては?」
「すみません…」
(立ち眩みなんて一瞬のことなのに…心配させちゃって悪かったな。義母上様の歓迎の宴だっていうから、張り切って準備したかったんだけどな……病人じゃないんだし、お城の中でなら少しぐらい動いても大丈夫だと思うんだけど……)