第90章 月に揺らぐ
流れるような見事な手跡の文に感嘆しつつ、信長だけでなく、自分や結華をも案じてくれている文の内容に胸が熱くなる。
(義母上様にはなかなかお会いできないけれど、いつもこうして何かと心配して下さっている。母を亡くした私にとって、義母上様は実の母のような存在だわ…)
「義母上様が来て下さるのは、本当に心強いです。二度目の出産とはいえ、先の時からは年月が経っておりますし、やはり何度目でも女子にとって出産は不安なものですから……」
「っ…そういうものか?俺はまた、貴様の傍にいてやることも叶わぬのか……男は役に立たんらしいからな」
不満げに呟く信長が、朱里は愛おしくて堪らなかった。
その大きくて骨張った手を、両手で柔らかく包み込み、そっと自身の胸元へと引き寄せる。
「私も信長様が傍にいて下さったら、どんなに心強いか…ですが、こればかりは…ふふ…出産は女子の戦だそうですから」
「朱里っ……」
不安がないと言えば嘘になる。
色々な困難を乗り越えて、辛い思いもたくさんして、ようやくここまで辿り着いたのだ。
お腹の子は、今も元気に動いているが、出産は命懸け、その時になってみなければ何が起こるか分からない。
自分の身体とはいえ、思うようにはいかないことばかりだ。
元気な子を産みたいと、今はただ願うことしかできない。
それでも、こうして自分とお腹の子を気にかけて案じてくれる人達がいることに、朱里は言いようのない感謝の気持ちでいっぱいだった。
「朱里、気持ちは分かるがあまり不安になるな。俺と貴様の子だ、元気に産まれてくるに違いなかろう?」
逞しい腕にぎゅっと包み込まれ、穏やかで優しい声で囁かれると、それだけで安心できた。
信長様は、いつだって私を安心させる言葉をくれる。
「信長様…ありがとうございます。ふふっ…信長様の御子ですものね、私、元気過ぎて困ってしまうかもしれませんね」
「くくっ…違いないな…」
柔らかな月の光の下で、二人の影はまるで一対のものかのように重なり合う。
初秋の少し冷んやりとした風が廻縁を通り抜けていくのを、頬に感じながらも、信長の温かな体温に包まれた朱里は少しも寒くはなかった。