第89章 重陽の節句
恥じらう千鶴の手を引きながら城下へと下りると、市は人出も多く賑わいを見せていた。
今日は重陽の節句ということで、色とりどりの菊の花を売る花売りが来ており、大坂城下はいつも以上に華やかな雰囲気に包まれていた。
人混みに辟易しながらも、早速に馴染みの菓子屋へと向かう。
「急な御命令ゆえ何かと思えば……菓子を買ってこいとは…」
目当ての菓子を包んでもらいながらも、秀吉はつい愚痴っぽくなってしまう。
「ふふ…奥方様のたってのご所望だそうで…御館様はお優しいですね。本当に、お二人は仲がよろしくていらっしゃいます」
(朱里の求めならば仕方がないか…いや、しかし甘味の食べ過ぎは禁物だ。御館様の大切なお身体を健やかに保つため、節度を守っていただくよう、申し上げねばっ…)
無事に用事を済ませた二人は、菓子屋を出て大通りに戻る。
「よし、無事に菓子も買えたことだし…この後少し、市を覗いていくか?」
「えっ…でも、よろしいのですか?奥方様が楽しみにしていらっしゃるお菓子なら、早くお届けした方がよいのでは?私達の帰りをお待ちになっていたら申し訳ないですし」
躊躇いがちに言う千鶴の足は、もう既に城の方角へと向けられていた。
(千鶴は、本当に真面目で思いやりのある子だよな。そういうところが可愛くて…守ってやりたくなるんだ)
「大丈夫だ。御館様からは、戻りは昼を過ぎても構わないと言われているし、茶でも飲んでいこう」
「そうなのですか……それでしたら…」
ホッと安心したような、それでいて嬉しそうな表情を見せる千鶴がいじらしくて、人の往来が絶えぬ大通りだというのに今すぐ抱き締めたくて堪らなくなる。
(っ…まずいな。自分では我慢してるつもりは毛頭なかったんだが…間近で千鶴を見てると、触れたくて堪らねぇ…)
普段、城内で仕事をしている時の千鶴はキリッとしていて隙がなく、恋仲とはいえ、秀吉が変な気を起こす余地がないような女性だった。
だが今日の千鶴は少し雰囲気が違って見えた。
着ているものはいつもと変わりない控えめな色合いの小袖だし、化粧だって普段どおりの大人しそうな印象で、どこがどう違うというわけではないのだが……いつもの張り詰めたような緊張感が薄らいでいるような気がするのだ。
(二人で出かけられたことを、千鶴が喜んでくれているといいんだが……)