第89章 重陽の節句
「お願い?珍しいな、貴様が願い事など…」
「はい…あの、今日は朝餉の後、城下へ行きたいのですけど…行ってもいいですか?」
「ダメだ」
「ええっ?(嘘っ…問答無用で却下?)」
「貴様、何を考えておる…臨月が近いのだぞ?いつ産まれてもおかしくないのだぞ?城下へ行くなど…許せるわけがあるまい」
「で、でも…用事が済んだらすぐ戻ります。歩くのがダメなら籠を使いますし…少しの間なら疲れないから……大丈夫ですよ?」
「ダメだ!大丈夫だという保証がどこにある?出先で産気づいたらどうする?大体、用事とは何なのだ?貴様が自ら行かねばならないようなことか?」
「それは……」
予想外の剣幕で怒られてしまい、言い出し難かった…市に買い物に行きたいなんて……。
今日は重陽の節句、美しい菊の生花や、菊花をあしらった小間物など、普段は見られないものなどが数多く市に並ぶだろう。
それらを是非見てみたいとも思うし、何よりも私が買いに行きたいのは、『着せ綿』という和菓子だった。
毎年この時期にしか食べられない、上生菓子。
安土にいた頃は、節句の日の当日に馴染みの菓子屋さんに買いに行っていた。
ここ大坂城下の菓子屋さんでも、売り出されると聞いていて、買いに行きたいと思っていたのだ。
(毎年、信長様と一緒に食べるのを楽しみにしていたのにな…信長様が私を心配して下さるお気持ちも分かるんだけど…)
「何か特別買いたいものがあるのか?俺も今日は夜まで予定が詰まっておるゆえ、行ってやれんが……代わりに誰ぞ侍女を行かせたらどうだ?」
「ぁっ…そう、ですね」
(うぅ…自分で色々見たかったんだけどな。それに、私の我が儘でおつかいを頼むなんて、図々しいよね…)
侍女達も今日は皆、夜の宴の準備やらに忙しいはずだ。
私が我が儘を言って皆を困らせるわけにはいかない。
「………………」
願いが叶いそうもないことに落ち込んでしまい、黙って俯いてしまった私の頭を、信長様の大きな手がポンポンと撫でる。
「ん……信長様?」
「そう落ち込むな。俺とて貴様の願いなら叶えてやりたい。だが、大事な時期だ…何があるか分からん。自重せよ」
「………はい」
(信長様の仰ることは、もっともだ。城下でもし産気づいたら…どうしていいか分からない。この子を危険に晒してしまうかもしれない)
「朱里……」