第88章 裏切り〜甘い香りに惑わされて
「朱里、香水は手首以外にも、付けるとよい場所が色々あるらしいぞ」
指先を手首の裏に滑らせながら、信長様が耳元で囁く。
「そうなのですか?」
「例えば、耳の裏や、胸元、腹、など、体温が高い場所に付けると身体の熱と混じり合って、香りがより際立つらしい」
「えっ…んっ、やっ…」
色気たっぷりな声音で言いながら、信長様の長くて綺麗な指先は私の身体をつーっと伝い降りていく。
それは、着物越しだということを忘れるぐらいに滑らかな手付きで、あたかも肌を直接暴かれているかのようだった。
「子が無事産まれたら、また俺が付けてやる。貴様の芳しい香りが引き立つところに、な…」
香水の香りが匂い立つ手首の裏へ、ちゅっと口付けながら、信長様が意味深に囁く。
身体の熱が一気に上がり、甘い香水の香りの中に堕ちて行くようだった。
「あぁ…信長さま……」
子が産まれたら、また信長様に存分に愛される日々が来るのだと、甘い期待に胸が高鳴る。
お腹の子を無事に産みたい。
できれば嫡男を産んで、良い母になりたい。
信長様の大切な御子達を、正室として立派に育てていきたい。
様々な懸念に心を揺さぶられ、責任感と重圧に押し潰されそうになる日もあるけれど……
今だけは大好きな人の愛情を一身に感じて、愛を交わし合う日を夢見たかった。
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数日後の昼下がり
信長様と一緒に自室へ戻る途中、廊下を歩いていると、
「あら、またあの香の匂いがしたわね」
「そうね、やっぱりあれは御館様から奥方様への贈り物だったみたいね。異国の珍しい香を贈られるなど、本当に愛されていらっしゃるわね。羨ましいわ」
「あの香り、奥方様からだけじゃなく、御館様がお一人でいらっしゃる時も香ってくるのよ。お二人はいつまでも仲睦まじいわね」
すれ違ったばかりの女中さん達の噂話が、自然と耳に入ってくる。
(嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいな。信長様に私の香が移ってる、ってことだよね…)
その意味を想像して、さぁっと頬を薄桃色に染める朱里に目敏く気付いた信長は、目を細めて愛おしそうに見遣る。
「どうした?」
顔を覗き込み、問いかけてくる信長様から自分と同じ香りがして益々恥ずかしさが込み上げてくる。