第88章 裏切り〜甘い香りに惑わされて
「私に似合う香りを……」
「懐妊中の女子は、様々な匂いにも敏感になるらしいな。貴様が嫌いな香りでなければ良いが…どうだ?」
「大丈夫です。良い香りですね…あっ、あの、この前、『この香りは嫌いか?』とお聞きになったのは、もしかして……」
「香水が完成するまで秘密にしておこうと思っていたんだがな。残り香というものは自分では気付かぬものらしい。あの時は貴様に指摘されて少し焦った。嫌いかと聞いても何も言わぬし、本当に嫌いな香りなのかと、内心気が気ではなかったぞ?」
「そうだったんですね……」
私は女人の残り香だとばかり思っていたから、嫌いかと聞かれても正直それどころではなかったのだ。
どうやら、二人とも微妙にすれ違っていたようだ。
「『裏切り』という名のこの香りは貴様のようだな」
「えっ…私ですか?」
「貴様はいつも俺の予想を裏切る。守ってやりたくなるような頼りなげで儚げな女かと思えば、決して信念を曲げぬ強さがあったりする。俺の心も体も満たしたいと言ってくれる優しい貴様も、先程のように夫の浮気を問い詰める気の強い貴様も、俺は両方好きだ」
「っ…信長様…」
(『好き』って…いつもは愛してるって言って下さるのに。普段言われ慣れてない好きって言葉を言われると…何だかすごく胸の奥に響く気がする)
「予想を裏切られて貴様に翻弄されるのも、案外いいものだな」
「ごめんなさい、私…また貴方を信じ切れなくて…浮気なんてなさるはずがないって分かってるのに、不安になってしまって…。
身体の交わりが全てではないと、頭では理解していても、やっぱり殿方はそのぅ…色々と我慢なさっていることも多いのではと……」
「っ…くっ…」
(こやつ、俺がさも欲求不満だと言わんばかりではないか…先日のアレも妙に不自然だったし。まぁ、アレはあれで興奮したが…)
普段の淑やかな印象と違い、自分から積極的に奉仕してくる朱里の姿に激しく欲情したのは、記憶に新しい。
さすがに自分だけ満たされるのは、少々気が引けたので『もうしなくていい』と言ってやったが…普段と違う朱里の姿に、良い意味で裏切られたような気分だった。
(まったく…こやつへの興味はいつまで経っても尽きんな)