第88章 裏切り〜甘い香りに惑わされて
「っ……」
「嬉しいです。そんな風に私を想って下さって…過保護だなんて思いません」
「朱里っ…」
背中にそっと回される信長様の逞しい腕は、壊れ物を扱うかのように優しかった。
でも………
(あっ……この香り、また……?)
信長様が夜の商談に行かれなくなってからは、香ることがなかった甘くて刺激的な、あの香り。
それが今また、信長様の身体からふわりと香ったのだ。
(あの香りがまたどうして…昼間、お出かけになったの…?
昼日中から女人と密会を…?残り香がうつるようなことをなさってきたの…?)
嫌な想像が頭の中をぐるぐると駆け巡り、胸の奥は酷く動揺していた。
先程までは信長様の深い愛情を感じて満たされていた心が、一気に冷え切っていくようだった。
「どうかしたのか?」
腕の中で、分かるぐらいに身体を強張らせた私の顔を、信長様は不審そうに覗き込んでくる。
(も、もう無理っ…これ以上我慢できない。嫉妬深い女だと思われてもいい…素直に聞いてしまおう)
「信長様っ…あの、そのぅ…お身体から嗅ぎ慣れぬ香の香りが致しますが…っ…これは一体、どなたの香ですの!?」
抱き締める腕を押しやって、キッと睨むように眉根を寄せて険しい顔をしながら、問い詰めた。
「………は?」
訳が分からないといった顔で見つめてくる信長様を見て、私は焦りを隠せない。
「あぁ、もぅ!この甘い香りですよ…これって、お、女物の香ですよね?」
「……………」
「信長様っ!」
「…………っ…くっ…くくっ…くっ、はっ…ハハッ!」
耐え切れないというように笑い出した信長様を、私は呆気に取られたように見つめるしかなく………
「も、もぅ…何で笑うんですか?私、真剣にお聞きしてるんですよ?」
「っ…すまんっ…貴様があまりにも可愛いことを言うゆえ、つい…くっ、くくっ…」
「やっ…誤魔化さないで下さいっ!本当はずっと前から気になってたんですから…」
再び私を腕の中に捕らえた信長様は、ふるふると身体を震わせて笑いを堪えている。
何だかとても腹立たしい……
「もぅ!離して、信長様っ」
「ふっ…そんなに暴れるでない。最近様子がおかしいと思っていたら、貴様、俺の浮気を疑っていたのか?道理で…先日もこの香りのことを聞いていたな…余程気になっていたと見える」
「だ、だってそんな甘い香り…」