第88章 裏切り〜甘い香りに惑わされて
翌朝、優しく髪を梳かれる感触で目が覚めた私は、信長様の逞しい腕の中に囚われていた。
「おはよう、朱里」
起きたばかりの私の額にチュッと口付けながら微笑む信長様は、穏やかな満たされたお顔をなさっていた。
「おはようございます、信長様…」
(うっ…昨日のこと思い出しちゃって、お顔がちゃんと見れないよ)
「……どうした?少し顔が赤いな。具合でも悪いのか?」
心配そうに言いながら、俯く私の頬を両手で包み、じっと覗き込む。
「やっ…大丈夫です…何でもありませんから」
目を合わせるのが恥ずかしくて顔を背けてしまった朱里を、信長は訝しげに見ながらも、それ以上問い詰めることはせず、今度は頬に軽く唇を寄せる。
ちゅっちゅっと小鳥が啄むような口付けに、擽ったいような恥ずかしいような心地がする。
「んっ…はっ…あっ…」
頬に感じる熱い唇の感触に、思わず甘ったるい声を漏らす朱里の姿に、信長は、ハッと我に返ったように慌てて身体を離した。
「っ…すまん、戯れが過ぎた。大事ないか?」
お腹の方を気にするように心配そうな視線を向ける信長を見て、朱里は何だかひどく申し訳ないような気持ちになった。
「大丈夫ですよ、信長様。少しぐらいなら平気です。だから…もっと触れて…」
信長様の目をじっと見つめながら、その骨張った大きな手を両手で包み、胸元へと引き寄せた。
「っ……貴様、何をっ…」
「もっと触れて下さい…信長様」
「くっ…やめよ」
苦しげに目を背ける信長様は、私の胸元から即座に手を離そうとする。
「どうしてですか?私は、もっと貴方に触れて欲しいです」
恥じらいながら言う朱里を見て、信長は驚きに目を見張る。
(くっ…こやつ、俺の我慢も知らずに触れて欲しい、などと…少しでも触れれば歯止めが効かなくなると言うのに……)
「くくっ…貴様、触れて欲しい、などと朝から大胆なことを言うではないか。だが…残念だがそろそろ起きねば、秀吉の奴が来てしまうぞ?」
「えっ?あっ…信長様…」
はぐらかすように悪戯っぽく言うと、信長様はサッと身を起こし、私から視線を逸らしたまま、寝所を出て行ってしまわれた。
声を掛ける間もなく置いて行かれてしまった私は、一人呆然とするしかなかった。
(何で??触れて下さると思ったのに……)