第87章 向日葵の恋
「千鶴っ…俺と一緒に大坂へ帰ろう。御館様には、俺が話をしてやるから…見合いなんて…しなくていい」
「秀吉様っ…」
強く抱き締める秀吉の腕を、身を捩って押し戻した千鶴は、激しく首を横に振りながら声を張り上げる。
「秀吉様っ…ダメです。これは御館様の御命令なのです…断ることは許されない。私は…もう姫様のお傍にはいられないのです」
「千鶴……」
「私だって本当はお見合いなんてしたくない。安土にも戻りたくない。お嫁になんて行かなくていいから、ずっと姫様にお仕えしたかった!でも…無理なのです、もう」
これまで我慢していた感情が、秀吉の顔を見た途端、堰を切ったように溢れ出し、溜まった涙が頬へと零れ落ちる。
これまで涙など見せたことのなかった千鶴が、人目も憚らず街道のど真ん中で声を上げて泣いている。
子供のように頼りない姿を晒す千鶴を、秀吉は守ってやりたいと心の底から思った。
気が付けば、もう一度、その華奢な身体を己の懐に掻き抱いていた。離したくない、と強く想いながら……
「千鶴っ…俺と夫婦になろう」
「……え?」
「俺と夫婦になれば、お前は大坂に残れる。結華様の乳母のままでいられる。お前の縁談の相手がどこの家の者かは知らないが、俺が相手ならお前の父上だって納得して下さるだろう?御館様には俺からちゃんと説明する」
「秀吉様……」
俺の申出を喜んで受け入れてくれるはず…そう思っていた千鶴の顔は、予想外に酷く浮かないものだった。
「千鶴……?」
「……秀吉様はお優しいですね。困っている者には誰であろうと手を差し伸べて下さる…本当にお優しい方。好きでもない女子を助ける為に妻にして下さる…本当に優しくて…酷い方ですっ!」
吐き出すように言ってから顔を覆って泣き出してしまった千鶴に、秀吉は頭を勢いよく殴られたような衝撃を受ける。
「ち、違う違うっ…誤解だ、千鶴…いや、その、こんなの、お前の弱みにつけ込んだみたいで卑怯な申出だけど…いや、本当はそんなつもりじゃないんだが、でも結果的にそうなっちまってるんだけど……でも、お前と夫婦になりたいのは俺の本心には変わりなくて……あぁ、もう!何言ってんだ、俺は…くそっ」
「秀吉さま…?」