第87章 向日葵の恋
「はぁ……」
秀吉は先程から、もう何度目か分からない溜め息を吐きながら廊下を歩いている。
毎度のことながら、政務の途中で『休憩だ』と言ってさっさと席を外した信長を呼び戻しに朱里の部屋に行ったところ、珍しくそこに信長の姿はなかった。
結華の部屋にいるのでは、という朱里の言葉を聞いて、そちらに向かうことにしたのだが…部屋に近づくにつれ、次第に秀吉の足取りは重くなっていたのだ。
(結華の部屋…ってことは、当然、千鶴もいるよな…)
千鶴とは、しばらく話をしていない。
あの祭りの夜以来、揺れ動く自分の気持ちが上手く整理できておらず、何となく千鶴に会うのが躊躇われたのだ。
とはいえ、会わなければいいというわけでもなく……ふと気がつくと千鶴のことを考えてしまっている自分に戸惑ってもいた。
モヤモヤする気持ちのまま廊下を進み、結華の部屋の手前まで来ると、珍しく入り口の襖が微かに開いており、中から話し声が聞こえてくる。
(御館様か……?)
何故そう思ったのか、自分でもよく分からないが何となく声をかけるのが躊躇われて、そっと近づき、襖の隙間から中の様子を覗いてしまった。
そこで俺は、信じられない光景を目にする。
こちらに背を向けて座る御館様は、向かい合った千鶴に何事か話をしておられるようだったが…徐に、千鶴の身体を引き寄せてその顎に手をかけると、グッと顔を近づけられたのだ。
傍目には、二人が口付けをしているようにしか見えなかった。
(なっ…御館様っ、何を…)
その光景を見た瞬間、激しく鼓動が騒ぎ、居ても立っても居られなくなった。
無礼だと頭では分かっていながらも、荒々しく襖を開く手を止められなかった。
「御館様っ、千鶴っ!」
『千鶴、目のふちに、まつ毛がついているぞ。取ってやろう』
『まつ毛、ですか?そんな畏れ多い…自分で取りますので…』
至極真面目な顔をした信長が、細く長い指先で千鶴の目蓋のふちに軽く触れる。
慌てて身を引こうとした千鶴は、信長に力強く腕を掴まれた。
『あ、あの、御館様…?』
深紅の瞳に射抜くように見つめられて、その迫力に恐ろしくて身体が震えてしまった。
『動くでない。じっとしておれ』
『は、はい、すみません…』
『…………』
『御館様、あの…取れましたか?』
『待て、まだだ。目を瞑れ、千鶴』
『は、はい…』