第87章 向日葵の恋
次の日の朝、信長はいつものように軍議の席で、秀吉が読み上げる報告を聞いていた。
各地の情勢も落ち着いており、特に気掛かりな問題もない、至って平和な報告に、今日は広間の空気も穏やかなものだ。
「…………以上です、御館様。特に問題はございません。御館様の方で、何かございますでしょうか?」
報告書を読み終えて顔を上げた秀吉は、上座の信長を真っ直ぐに見つめる。
主君への尊敬と信頼に満ち溢れたその目は、信長の些細な感情の起伏すら見逃すまいとするかのように、真剣そのものだった。
「いや、問題ない。引き続き警戒を怠るでない」
「はっ!畏まりました」
「ところで……秀吉、俺に何か報告することはないのか?貴様自身のことだ」
「は?俺のこと…ですか?あの…何のことでしょう??」
信長の唐突な問いに戸惑いつつも、必死になって考えを巡らすが、自分のことで報告することなど……一つも思いつかない。
「……昨日のことだ」
「昨日……あぁ、昨日の城下での結華様のご様子ですね!特に問題もなく、大層楽しそうなご様子でしたよ」
「……阿呆、結華のことではない。千鶴のことだ。貴様、千鶴とはどうなっている?俺に隠し事は許さんぞ」
「………へ?」
信長の思いも寄らない言葉に、秀吉は何のことか分からず目を白黒させる。
広間の空気が一気に騒々しくなる。
「おい秀吉、どういうことだ?千鶴って、結華の乳母だろ…お前、いつの間に手、出したんだ?」
「くくっ…お前が御館様に隠し事とはな」
「秀吉さん、やたらに結華のところへ顔出してると思ったら…そういう下心があったんですね」
「秀吉様と千鶴様が……全然、気が付きませんでした」
武将達の勝手な言いように、秀吉は慌てる。
「おいお前ら、勝手なこと言うな!お、御館様、一体何の話ですか?俺は、千鶴とはそんな仲じゃ……」
慌てて否定の言葉を述べかけた秀吉だったが…その瞬間、胸の奥の方がツキリと痛んだ気がした。
ほんの微かな痛み、そのまま気付かずに流れてしまうぐらいの小さな痛みは、一度気付いてしまえばチクチクと胸を刺す。
(千鶴とは恋仲なんかじゃない…けど…俺は…)
数日前から千鶴に対して急に感じるようになったこの気持ちは…これは、何なんだろう…
恋仲なんかじゃない、そうはっきり否定することを心の中で躊躇う自分がいる。