第86章 真夏の船祭り
「貴様は欲がないな。もっと我が儘であってもよいのだぞ?貴様は俺のただ一人の妻なのだから」
(我が儘な女など鬱陶しいだけだ、と以前の俺なら思ったものだが…朱里の我が儘なら、どんなものであれ可愛いだけだ)
「ふふ…いいんですか?そんなこと仰っても。私、信長様が困ってしまうような我が儘を言っちゃいますよ?」
「構わん。貴様のことで、この世に俺が叶えられぬことはない」
自信満々に胸を張る信長様が可愛らしい。
溢れんばかりの愛情を感じて、私の胸はじんわりと熱くなった。
「っ…じゃあ、お部屋に着いたら、口づけして欲しい…です」
「容易いことだ。なんなら今ここで、してやってもよい」
「やっ、だ、だめですってばっ!」
ぐいっと近づく唇を慌てて抑えようとした私の指先を、信長様はパクリと咥えてしまう。
熱い舌が、爪先をぬるりと舐めていく。
「んっ…あぁっ…待って、まだ人がっ…」
天主への入り口はまだ先だ。
廊下を歩きながら戯れる姿を見られたりしたら…恥ずかしいし、何よりも信長様の城主としての威厳に関わる。
ーちゅぷっ ちゅる…くちゅっ…
「あっ…ん''っ、ふっ、やぁ…」
焦る私を無視して、信長様は私の指を舐めたり吸ったりと、美味しそうにしゃぶり尽くす。
その舌使いは、色気たっぷりで妖艶で…指先を愛撫されているだけだというのに、私は全身の力が抜けてしまいそうだった。
口づけを所望しただけで、こんなにも蕩けさせられてしまうとは思わなかった。
部屋に着いたら、二人きり。軽い口づけでもいい、信長様からの愛が欲しいと、そう願っただけだったのに。
「もっ…やだぁ…いじわるしないでぇ…」
涙目で訴える私を見て悩ましげに目を細めると、ようやく濡れた指先を解放してくれた。
「くくっ…さあ、次の我が儘は何だ?何でもよいぞ?」
「うーーっ…もぅ…」
面白そうに口の端を緩めて覗き込んでくる紅い瞳にこれ以上魅せられてしまわないように、そっと目を逸らす。
「朱里…目を逸らすでない、俺を見ろ。貴様は、俺だけを見ていればよい」
「んっ…信長さまっ…」
今度は、ちゅっと柔らかく重なる優しい口づけが降りてくる。
口づけの間も、紅い瞳は私を捕らえて離さない。
欲を宿した燃えるような瞳から、私はもう逃れられないのだ。
いつの間にか、天主の入り口が見えてきていた。