第85章 黒い影
此度、備後国へ兵を進める織田軍の中心となるのは秀吉の率いる部隊だった。
中国地方の地形に精通していることと、なにより秀吉自身が強く望んだことだった。
「御館様、此度の先陣は是非、この秀吉めにお任せ頂きたく…」
今も隣に馬を並べつつ、馬上から早くも先陣を願い出る始末だ。
「猿、貴様…光秀のことで気負っているのは理解しているが、少し冷静になれ」
「っ…決してそのような…あいつのことは、関係ありません」
いつもなら面倒臭いぐらい真っ直ぐに信長を見つめてくる秀吉の視線が微かに揺れている。
それほどに、今の織田軍にとって光秀の存在は大きかったということだろう…良くも悪くも。
光秀の抜けた穴を埋めんと、誰もがこの戦にただならぬ決意を持って挑んでいる。
「先陣は軍議の席で決める。政宗や家康…彼奴らも大人しく黙ってはいまい。我が軍は、血の気の多い者どもばかりだからな……くくっ…」
「御意っ!何事も御館様の命に従いまする」
馬上にありながらも折り目正しく礼をする秀吉に、些か呆れたような視線をチラリと向けながら、信長はゆったりと馬を進める。
勅命を奉じた戦とはいえ、信長に気負いはなかった。
天下布武のため、己の成すべきことをするだけだ。
これまで多くの戦をしてきた。
己の大望の為には、多少の犠牲は免れない、血が流れることも致し方ないことだと思い、前だけ向いて進んできた。
ようやく世がまとまりかけても、それでもどこかで戦や一揆は起きる。
武力で抑えるには、限界があるということだろう。
此度のことも、話し合いで解決できればそれに越したことはなかったが、自分以外の者は全て卑しき者と蔑んでいる義昭が、話し合いに応じ、自ら将軍職を退位するなどとは、到底思えなかった。
この手が数多の血に塗れようとも、構わない。
目指す道は、もはや戻ることの叶わない道なのだ。
ならば……前だけ向いて進むのみだ。