第85章 黒い影
「秀吉、いいか、俺は…かつての主君に内通し信長様へ謀叛を計画した裏切り者だ。……戦が始まるまでは、俺は謀叛人のままであり続けなければならない。牢からも出るつもりはない」
「っ……何故なんだ?お前は本当は……」
「御館様暗殺計画が失敗に終わった今、残っていた真木島の仲間は備後へ引き上げているはずだ。敵の内情を探るため、部下の久兵衛を奴らの元へ潜り込ませている。
俺の謀反が形ばかりのものだと公になれば、敵の懐に忍び込ませた久兵衛の命が危険に晒される」
(光秀さんは、自分が味方から裏切り者と罵られ投獄されてまで、織田軍が確実に将軍を討てる計略を練ったんだ…将軍の存在がいつまでも信長様の大望の妨げになるから…)
「お前の考えは分かった。だが…勅命を引き出すためとはいえ、御館様のお命を危険に晒したこと、俺は許せねえ」
「あのような襲撃、危険のうちに入るまい。あの程度で倒れる御館様ではないし、何よりお前が同行すると分かっていたからな。お前なら、何があろうと御館様をお守りするだろう?」
「……当たり前だ。俺の命に代えてもお守りする」
(光秀さんは、秀吉さんが信長様を絶対に守るって信じてたから、今回の計画を立てたんだ…)
「この馬鹿野郎が……勝手に一人で背負い込みやがって」
「そういう性分でな。変えられはしないし、変える気もない。
……………御館様を頼む、秀吉」
「くっ………」
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柵越しに視線を交わし合った二人は、言葉では語らなくても心の奥深いところで互いに理解し合えたように見えた。
「朱里、もう行くぞ。こんなところに長くいたら、こいつの性悪がうつる」
「う、うん……あのっ、光秀さん…話してくれてありがとうございました」
「…あまり無茶をしてくれるな。お前と腹の子に何かあれば、御館様は正気ではいられないだろう。お前は…天下人を狂わせることのできる唯一の女だからな」
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる光秀さんはもう、いつもの光秀さんだった。
牢を出る前にもう一度振り返ってみると、光秀さんは固く冷たい床の上に胡座を掻いて座り、目を瞑ったまま何事か深く考えているみたいだった。