第85章 黒い影
秀吉さんが光秀さんの顔を乱暴に引き寄せ、激しい剣幕で睨み据えたその直後、微笑を掻き消した光秀さんの低い声を、秀吉さんと三成くんだけが聞いた。
「俺の抱える真実に価値などない。今はまだ、な」
「………………」
「俺の言動の真偽を確かめるより、すべき仕事が他にあるだろう、秀吉。真木島殿を操って御館様の暗殺を企てた人物を引き摺り出し、朝廷から討伐命令を引き出せ。俺の代わりに、お前が朝廷を動かせ」
「っ…光秀、お前っ……」
光秀さんはすぐにいつもの読めない笑みを浮かべ、秀吉さんの胸を突き返したそうだ。
「さて、お前達、いつまで俺をここに突っ立たせておく気だ?」
「………この男を投獄しろ。ただし、殺すな」
「はっ!」
(そんなやりとりがあったんだ………)
「真木島の証言どおり、光秀様の御殿からは二人が取り交わした密書が発見されました」
「嘘っ…そんな…それじゃあ、光秀さんが今回の襲撃に何らかの関わりがあったことは事実だって言うの!?」
「そのようです。光秀様は投獄された後、尋問にかけられているものの何も仰らず……このまま黙秘が続けば、じきに、やり方が過熱するでしょう」
(過熱って……)
「もしかして、拷問にかけるってこと!?」
「はい、その通りです」
硬い表情ではあるけれど、頷く三成くんに躊躇いはなかった。
「っ…拷問なんて酷いこと…どうにかして止められないのかな。光秀さんが自分で、どういう考えでやったことなのか話してくれるまで待つわけにはいかないの?」
「残念ですが、それは難しいでしょう。織田軍内に以前からあった光秀様への反感は、今、頂点に達していますから」
(いつもは優しい三成くんが、こんな突き放した言い方をするなんて…確かに、光秀さんを良く思わない家臣達は多かったけど…)
「これから織田軍はどうなるの……?戦が始まってしまうの?」
「いかに足利義昭が将軍の地位にあるとはいえ、朝廷の信が厚く帝からの覚えもめでたい信長様を暗殺しようとした罪は重いです。
朝廷から正式な討伐命令が出されたら、備後へ出陣することになるでしょう。
秀吉様が信長様の右腕だとすれば、光秀様は左腕……此度のことで戦力が大幅に減じたことは否めません。ですが…僅かに良い側面もあります」