第85章 黒い影
周囲を見回すと、こちらに追い縋って来ている黒装束の男たちの数は、三十人は超えているようだった。
木々が生い茂る森の中では戦いに不向きなため、開けた平原に向けて織田軍が馬を走らせる間にも、矢は背後から次々にこちらへ射かけられる。
信長は足だけで馬を御しながら、縦横無尽に刀を振るい、矢を薙ぎ払っていった。
背後から迫る矢を、信長が身を捩って斬り折った直後、
「信長、覚悟ーっ!」
前方から、甲高い馬の嘶きとともに馬を操り突っ込んで来た敵が、馬上の信長に襲いかかる。
「御館様っ!」
「っ………」
前方に目を向けると、憎しみに歪む敵の顔が目視できるほどに近づいていた。
隣で馬を駆っていた秀吉が信長を庇おうと手綱を引きかけた寸前、信長の刀が一閃し、黒装束の男の身体が面前で血飛沫を上げる。
敵の返り血が、信長の純白の羽織を汚す。
頬に飛んだ鮮血を無造作に指で拭うと、信長は氷のように冷たい目で周囲の敵を睨め付けた。
「貴様ら、あの世へ行く覚悟はあるのだろうな?」
「くっ、戯れ言をっ…あの世へ行くのはお前の方だ!」
一撃で斬り捨てられた仲間の姿に一瞬怯んだ様子をみせた刺客たちだが、信長たちの倍以上の人数を有し、数で優位に立っているという余裕で、ジリジリと距離を詰めてくる。
「御館様、後方へお下がりください!」
「構わんが……抜かるなよ」
「御意」
短く応じ、秀吉は前へと飛び出した。声を張り、家臣達に指示を出す。
「お前ら、続け!」
「はっ!」
刀を振り上げながら、秀吉は馬を駆り敵の渦中へ突っ込んでいった。
家臣達も秀吉の後に続き、多勢の敵を恐れることなく立ち向かっていく。
多方面に飛びだした織田軍は敵を分断し、信長を囲みかけていた布陣を崩していた。信長の乗る馬を中央にして、家臣達がその身を持って、守りの壁を築いている。
襲い来る敵の攻撃を防ぎ、乱れかけた陣形を一瞬で立て直す。
その中でも、敵を見据える秀吉の眼光は、誰よりも鋭く、険しい。