第85章 黒い影
「さすがに、土地の横領の罪だけでは、朝廷も征伐命令は出せぬのだろう」
「生温いな…御館様に害をなす、はた迷惑な将軍なんかいらねぇ」
「ふっ…相変わらずだな、お前は。御館様のことになると周りが見えなくなるらしい」
「煩いぞ、光秀っ!お前はもっと忠義心を持て!」
いつものように言い合う二人を、家康ら他の武将たちは半ば呆れたように見守っており、これもまたいつものように、上座から静かに声が掛かる。
「……貴様ら、そのあたりにしておけ」
「「はっっ!」」
「話は分かった。何にせよ、出陣するにしても勅命を奉じてからだ。それまで準備を怠るな。三成、兵の仕上がり具合を見たい。近日中に訓練視察の手筈を整えよ」
「信長様自ら御視察を…?畏まりました、すぐに手配致します」
その日の軍議はそこで終わりになり、武将たちはそれぞれ、各々の御殿へと解散していく。
「っ…待て、光秀っ!」
相変わらず飄々とした態度を崩さず、さっさと自分の御殿へ戻ろうとする光秀を、秀吉が険しい顔で呼び止める。
「………お前、京で何をしていた?」
「何、とは?朝廷との交渉だ。お前も知っているだろう?御館様の御命令だ」
「それは分かってる。京で、誰と会ってた?……お前が、幕臣の一人と一緒にいるのを見た者がいる」
「ほぅ…お前、俺に監視を付けていたのか?それはあまり感心しないな。世話焼きも度が過ぎると、嫌われるぞ?」
一瞬驚いたように目を見張った光秀だったが、すぐに元どおり表情を変え、揶揄うように口の端を上げてみせる。
「っ…ふざけんなっ!やましいところがないなら、はっきり申し開きしろ」
声を荒げる秀吉に対して、光秀はどこまでも飄々とした態度を崩さない。
「ふっ…やましいところが、一つもない者などいるのか?人は誰しも、他人には言えぬ秘密の一つや二つ、その身に隠しているものだぞ?御館様へ忠義一筋のお前とて、例外ではあるまい?」
「なっ…お前なぁ……俺は…っいや、俺のことなんて、どうでもいい。御館様に対して叛意がないというなら、今ここで…俺の前で誓えっ!」
ジリッと距離を狭め、詰め寄る秀吉と、相対して一歩も引かない光秀との間に、激しく火花が散るような緊張感が走る。
「…生憎と、誓いを立てるような誠実さは持ち合わせていない…お前と違ってな」
「光秀っ!」