第84章 星に願いを
宵闇が迫り、中庭に焚かれた篝火に、笹竹が幻想的に浮かび上がる。
襖が開け放たれた大広間では、家臣たちも交えて盛大な宴が始まっていた。
次々に運び込まれる豪勢な料理に舌鼓を打ち、豪快に酒を酌み交わす。
いつもどおりの賑やかな宴の喧騒の中で、信長は上座で脇息に凭れながら、家臣たちに次々に注がれるままに盃を空けていた。
注がれるたびに盃を一息に干しても、酔えぬ頭は覚めていくばかりだった。
想うのは、朱里のことばかりだった。
朝、昼、と見舞った時は、気丈に振る舞ってはいたものの、顔色はあまり良くなかった。
今朝も診察をしたという家康は、出血はまだ続いている、と言っていた。
量は少なくても、あまりに長く続くのは、腹の子にも良くない、とも言っていた。
朱里も口には出さないが、腹の子が心配で、不安で仕方がないのだろう。
話していてもどこか心ここに在らず、といった様子だった。
本当は、宴など中止にして、朱里の傍にいてやりたかった。
夕餉も、自分の手で食べさせてやり、冷えた身体も抱き締めて温めてやりたかった。
(くっ…朱里っ…俺にしてやれることはないのか…)
この世の全てが己の思い通りになると思っていた。
神や仏に願わずとも、全て己自身の手で望みは叶えてきた。
己に叶えられぬ願いなどないと、それほどの自信があった。
だが今は……願わずにはいられない。
朱里を、子を、助けて欲しい、と。
昨日より前の、穏やかで満ち足りた日々へ戻して欲しい、と。
朱里と結華と、産まれてくる子と、四人で過ごす幸福な時を与えて欲しい、と……
なみなみと酒が注がれた盃を手に、煌々と灯りが灯された中庭の方へと視線を向ける。
さらさらと風に揺れる笹の葉の、涼しげな音色が、上座に座す信長の耳を愉しませる。
今宵は晴れて、夜空の星も良く見えるのだろう。
中庭に敷物を敷き、星を見上げながら呑んでいる家臣たちもおるようだ。
宴を愉しむ賑やかな笑い声が、其処彼処から聞こえてきていた。
朱里が発案した今宵の七夕祝いは、思いの外、皆を愉しませているようだった。
連日続く梅雨明け前のじっとりとした鬱陶しさを打ち払うかのように、皆がこの宴を愉しんでいる。