第84章 星に願いを
「朱里…もう起きているか?」
襖の向こうから聞こえてきた、愛しい人の声は、珍しく遠慮がちで躊躇いの色が隠しきれないものだった。
「信長様っ…」
ゆっくりと開けられた襖の前で、信長様は温かな湯気の立つ膳を手にして立っておられた。
「…具合はどうだ?朝餉は食べられそうか?身体を暖められるものを、政宗が作ってくれたぞ」
「っ…ありがとうございます…」
信長は朝餉の膳を持ったまま、褥の傍へ寄ると、横たわる朱里の頬へ、そっと手を伸ばす。
大きな手が、ふんわりと優しく頬を包む。
(っ…これは…随分と冷たいな。まるで冬場のような冷え様だ。これは…血を失っているせいなのか?)
「朱里っ…寒いのか?」
「ん……少し。でも、手足が冷える程度ですから大丈夫ですよ?」
口元を微かに緩めて微笑んでみせる。
その、いつもは艶々と潤った唇も、今朝は血色が悪いようだ。
掛布から出ていた手にそっと触れると、やはりこちらも指先まで冷たくなっている。
少しでも早く暖めてやりたくて、その手を取って夢中で撫でさする。
本音を言えば、今すぐに抱き締めて身体中暖めてやりたかった。
「っ…あっ…信長さま…んっ、大丈夫ですから…もう…」
恥ずかしそうに引っ込めかける手をきゅっと握って、指先に口付ける。
己の熱を分け与えるように、何度も何度も唇を押し当てた。
「んっ…信長さま…?」
「朱里っ…」
(たった一晩離れていただけで、こんなにも儚げになってしまうとは…くっ…朱里っ…俺は…貴様を失いたくないっ…)
「信長様?私は大丈夫ですよ…御子も、無事だと……」
信長様を安心させようと微笑んでみせるが、少しぎこちない微笑みになってしまったかもしれない。
全てを見透かすような深紅の瞳を前にして、ゆらゆらと気持ちが揺れる。
信長様の胸に縋って泣いてしまいたい。
お腹の子が心配で、不安に押し潰されそうになっている心の内を、全て曝け出して、吐き出してしまいたい。
何もかも忘れて、信長様に甘えたい。
でも……私は、この子の母だから…強くあらねばならない。