第84章 星に願いを
ーガシャンッ!
倒れた拍子に、褥の横に置いてあった水差しに手が触れてしまい、陶器の器が派手な音を立てて倒れる。
溢れた水が広がって、畳に染みを作っていく光景を、成す術もなく見つめるしかなかった。
「あっ…くっ……」
「姫様?どうかなさいましたか……ひ、姫さまっ!」
物音に気付いたらしい千代が様子を見に来てくれた時、私は痛むお腹を押さえて褥の上で丸くなっていた。
「ち、千代っ…お腹が、痛いのっ…あっ…くっ…」
「姫様っ、しっかりなさって下さいませ!お気を確かにっ…今、家康様をお呼びしますから…」
(あぁ…どうしよう…お腹の子に何かあったら…っ…痛っ…ごめんね、ごめんっ…)
痛みと不安で意識が薄れる中、侍女たちを呼ぶ千代の声を遠くに聞きながら、私はお腹の子に謝り続けていた。
「朱里っ…」
バタバタと廊下を走る音が聞こえてきて、勢いよく寝所の襖が開くと、はぁはぁと荒い息を吐く家康が飛び込んでくる。
「っ…家康っ…」
家康の顔を見て、僅かだが、気持ちが落ち着く。
けれど、家康の方は朱里の青白い顔色を見て、秘かに表情を曇らせていた。
(随分と顔色が悪いな…一体何がどうなってるんだ……)
「朱里、仰向けになって足開いて。中、見るから…」
「家康っ…お腹っ…赤ちゃんが…」
「うん…ちょっと待って……っ…(これは…)」
秘部から僅かに出血がある。
月の障りの時のような流れ出るほどの量ではなく、襦袢に付く程度だけれど……それでもこれは腹の子の異変には違いないだろう。
痛みと出血……下手をすれば、子が流れるかもしれない。
(ダラダラと出血が続くと拙いな……そうは言っても、血を止める術もないし、安静にするぐらいしかないのか…くっ…)
懐妊中は薬の処方も難しい。
医学薬学の研鑽を積んでいるとはいえ、自分は織田家の正式な御典医ではない。
更には、お産の知識は、産婆に比べると覚束ないところもあった。
目に見えぬ腹の中がどんなことになっているのかなど、すぐには分からない。
(くっ…何か、今、出来ることはないのか……)
家康は、目の前で苦しそうにしている朱里を、今すぐに楽にしてやれる術が自分にないことが、歯痒くて堪らなかった。