第12章 Act
ゆっくりと歩みを進めていた。
体は酷く気怠くて、どこもかしこも痛くて。
服は張り付くし水分を含んで重い。
靴は踏み出す度にぐじゅりと嫌な音を立てる。
やっぱり俺じゃない方がいいんじゃないか。
なかなか変わってくれない歪んだ思考が足を止めろと指示を出すのに、体はそれを止めてくれない。
世の中には絶対に変えられない事がある。
どんなに憧れて願ったって、猫は鼠になれないだとか。
死んだ人間を生き返らせることは出来ない、だとか。
ひゅ、と喉が鳴った。
ぞわりと背筋に伝ったものは、雨でも汗でもなく氷のように冷えた絶望。
思い出す、最期に見た母親の泣き顔。
変えられない。過去に戻って、母に突き刺した言葉を取り消すことも、母親が死んでしまったことも。
変えられない。
―――俺が明日も、来年も、十年後も。絶対に生きてるって保障あんのかよ!?
明日、必ずここに居るなんて保障は何処にもない。
ひまりだって同じことだ。
全てを諦めたような顔の少女が、理不尽な深淵に飲み込まれる映像が鮮明に脳内に浮かんだ。
冷汗が額に伝い、顎に響く程に歯噛みする。
由希を殴った右手を握りしめて、地を強く蹴って走り出した。
変えられることもある。
それは簡単な事じゃ無いかもしれないけど。
失いたくない。
側にいたい。それと同時に、やはり側に居たくないとも思ってしまう。
喉が詰まりそうだった。
真逆の感情に挟まれて、とても息など出来なかった。
それでも走る。
体が痛くても、衣服が気持ち悪くても。脳がもう考える事を辞めろと命令しても。
ぐちゃぐちゃな体と感情のまま走り続けた。
泥が跳ね返って汚れた足元で石段を駆け上がって。
懐かしくも感じる玄関の前で膝に手を置いて息を整える。
感情が整理出来たわけでも、胸を張って少女を守るとも言えなくて。
こんな状態で会ってもいいものだろうか。と狼狽えている所で玄関扉が勝手に開いた。
「何?」
声の主は、ずっと脳内を占めていた少女よりも背が高くて声が低い人物だった。
開いた扉の向こうには少女の姿は無い。
「春……」
「何しに来たの」
軽蔑するような眼差しで夾を見据える潑春。
夾はバツが悪そうに顔を歪めながらも、「……会いに来た」と端的に告げた。
目線で全身を確かめるように上から下まで動かして、鋭い双眸を夾の目に縫い付ける。