第12章 Act
「誰があんなバカの為に」
悪態を吐く由希の隣で、紫呉が立ち竦んだままのひまりに視線を向ける。
「追いかけなくていーの?夾君、ほんとに出てっちゃうよー?」
小さな肩が僅かに浮く。由希は何か言いたげに顔を歪めたが、言葉を飲み込んで同じく少女の背を見た。
力無く振り返った少女は無の表情で睫毛を伏せていた。
由希と紫呉が瞠目する。
いつもの少女ならば、追いかけてくる。と走り出すか、誤魔化すように微笑んでいたはずだったから。
「……それって意味あるの?」
二人を視界にいれたひまりの瞳はいつもの透き通るようなブラウンからは程遠いものだった。
歪に笑んだようにも見えたソレは濁りきっている。
ゆらゆらと自室へと戻る少女の後ろ姿は現実味が欠けていた。
由希は、は、と息を呑んで、凍ったような背筋に鞭打って後を追う。
は、は、と息が上がっていたのは自分自身ではなく階段の途中で蹲っていたひまりの方だった。
由希は少女を抱き上げて腕の中の存在に少しだけ安堵する。
安堵しながらも少女を苦しめる原因となった相手が頭に浮かび、怒りで眉間に皺を寄せていた。
あの別荘での一件以来。分かりやすい程に夾はひまりを避けていた。
食事は自室で取り、ひまりの問いかけには「ああ」ぐらいの短い返事をするだけでその姿を視界にすら入れない。
学校の登下校は勿論別だし、合間の休憩になれば夾は机に突っ伏して眠るようになったのだ。
今はまだ透達の間では、夾は梅雨の時期で体が怠い。ということに収まっているが、まぁ時期が過ぎれば二人の溝は一目瞭然になるだろう。
由希は眉間の皺を深くする。
あの単細胞の考える事なんて簡単だ。
"ひまりを諦める為”だろう。
諦めるには関わらなければいい。そんな単純過ぎるバカの考え。
何が原因でそうなったのかは不明だが、ひまりもそんな夾を受け入れるかのようにイエス、ノーで応える問いかけすらしなくなった。
ご飯ここに置いておくね。先にお風呂入らせてもらうね。と一方通行のもの。
次第に二人の間に”会話”は無く、”言葉”のみになっていった。
少女をベッドに座らせて、繰り返す喘鳴よりもゆるやかに背を撫でてやる。
いつも左耳に光っていた筈のクローバーは、くしゃくしゃになったペーパーフラワーの隣にポツンと置かれていた。