第12章 Act
「俺、今日から師匠ンとこで暮らすわ」
突然夾がそう言いだしたのは、夾がひまりを避け始めて約一カ月後。梅雨真っ只中の空がどんよりと仄暗い日のことだった。
杞紗、楽羅、燈路の三人が同時に物の怪憑きから解放されたそうだ、との連絡をはとりから貰った直後のことである。
電話を取ったひまりが居間にいた由希と紫呉にそのことを報告したのとほぼ同時。
気怠げな顔と共に大きなバッグを引っ提げた夾は、居間に来るなりそう告げたのだった。
「え、まって、なんで」
夾との久しぶりの会話に緊張の色を見せつつ、ひまりが問う。
夾はひまりを一度視界には入れたものの、その問いには答えずに「世話になったな」と言葉を残して背を向けた。
「待って待って夾くーん。それって慊人さんは了承済みなんですかー?」
「こないだ師匠に聞いてもらった。慊人は好きにしろ、だとよ」
まぁそれなら僕は何も言わないけど。紫呉の言葉に「残りの荷物はまた取りに来る」と居間を出て行く夾。
目まぐるしく進む話に、ひまりは瞳を揺らしながら下唇を噛む。
彼を追いかけようにも、また自分を空気のような存在に扱われるのではないかとの恐怖心で脚がすくんでしまって動かない。
玄関扉が閉まった音が、シーンとした室内に響いただけだった。
出来るだけ夾とは関わらない方が良いと思って耐えてきたこの一カ月。
自分の為にも、彼の為にも。避けてくれるのならば逆に有難いことだ、と丸め込んできた感情が今、暴れそうになる。
嫌なのに。話してくれなくても構わない。側にいて欲しい。
あぁでも、これが身の程を知らないってやつか。
消える人間が。いなくなる人間が容易に縛り付けていいはずが無い。
こうやって置いて行かれるのだ。
夾も、みんなも。何も変わらずに生きていくのだ。
失った瞬間、私だけが取り残されてしまうんだ。
未練になるものは残さない方が良い。
簡単なことなんだ。こうして全てから切り離して貰えれば、何も未練は無くなる。ツラさは消える。
慊人だけに向き合える。
あぁそうか。こんなにも簡単なことだったんだ。
ひまりの瞳から、ふ、と光が消える。
「何アイツ。最後まで気にくわない」
「こんな急じゃなくても、話が進んでるなら僕にも言ってくれれば良かったのにねぇ。送別会のひとつでもしてあげたのに」