第11章 徒桜
初めてだった。いつもは優しく握り返してくれるその手に振り払われたのは。
揺れる瞳でその手を眺める。
悪ィ、帰る。沈んだ声で呟いた夾は、ひまりを見ることなくコテージから出て行ったのだ。
「何アレ」
一連のやり取りを見ていた由希は、彼がいた場所を睥睨する。潑春も言葉こそ発さないが、由希と同じ目をしていた。
「……ひまり、ダイジョーブ?」
ひまりの元に寄った紅葉がいつの間にか逆転した身長差で、彼女の顔を覗き込む。
紅葉を見上げたひまりが苦笑した。
「あー、何か怒らせちゃったかな」
ははは。乾いた笑いをあげて、髪を耳に掛けるついでに左耳に光るピアスに触れる。
彼と同じ景色を見られたら良かった。同じ未来を描けたら良かった。
夾は聞いていたのだろうか。依鈴との会話を。
帰る。呟いた夾の声は苦痛に満ちていた。
もしも聞いていたのなら、これでいい。これで良かった。
掴めない希望は抱かない方がいい。期待はさせない方がいい。
諦めた方がいいことも、ある。
「カレー、食べちゃお。早く食べないと冷めちゃう」
言って、また昼食を再開させた。
張り詰めた空気を緩めるように、ひまりが中心となって他愛もない会話を広げながらケラケラと笑う。
こういう時の紫呉はありがたい存在で、少しの違和感も出さずに気を紛れさせてくれる。
ただ、味のしなくなったカレーを飲み下す作業。これだけは、どうにも紛れさせることが出来なかった。
まだコテージを出発してから十五分しか経っていないことに紅葉は絶望していた。
空気が薄いし、重い。高い山の頂上で極厚のマスクをしている方がまだマシであっただろう。
運転手のはとり、助手席でスヤスヤと眠る紫呉。
二列目に不機嫌さを顔に張り付けたまま外を眺める依鈴と、三列目が苛立ちを全身から滲ませている由希と潑春。
そして四列目に紅葉と、時折うぅ、と唸りながら眠るひまり。
あの時引き攣った笑顔でカレーを放り込み続けていたひまりを無理にでも止めていればよ良かった。
ひまりと会話できる状況であればまだマシだっただろうに。
今更後悔しても後の祭り。
ため息と共に空を仰ごうにも、見上げたソコは広大な空ではなく、手を伸ばせば届いてしまう天井だった。