第11章 徒桜
立ち尽くす夾に顔を向け、光を移さない漆黒の瞳を、うっとおしそうに細める。
「話はそれだけだよ。早く、帰って」
「ひまりも自由なんだろうな」
間髪入れずに問うた。
これだけは、何があっても譲れない。自分だけが解放されたって意味が無い。
「……そんなに心配なら、帰りに猫憑きの離れにでも寄ってみたら。もう取壊しの準備が始まってる筈だよ。……それで、安心だろ」
慊人はそう言ってまた瞳を細めた。
今度はソレが嗤ったようにも見えて、全身がぞわりと粟立つ。
その気持ち悪さに目を眇めながら、未だに信用ならない相手の腹の中を探るように無言で見つめる。
問うよりも、自身の目で確かめに行った方が早い。
慊人に背を向けるまで睨みつけて、そして足早に部屋を後にした。
シンと静まり返る暗い部屋。
慊人はゆるく瞬きを数回繰り返して、何かを思い出したかのように喉を鳴らす。
くつくつと堪えた笑いが部屋に響く。
「ほんと、猫って……馬鹿だよね」
足元が浮いている。僅かな震えも相まって酷く歩きにくい。
だがその感覚に、微塵の嫌悪感も感じない。むしろ感じるのは高揚感だ。
自身の目で確かめて実感して。それでも不信感は居座っていたが、吸い込む空気が軽くて、すんなりと肺に到達する。
幽閉されないのだ。産まれた時から決まっていた運命。
逃れられない、抗えない。その鎖から解放されたのだ。
慊人の元に出向くことを心配していたひまりに、一秒でも早く会いたくて、交互に動く足がスピードを増す。
「夾」
家へと続く石段の上から、眉尻を下げたひまりが声をかける。
夾は見上げて、ゆっくりと段を下りてくる情けない顔にふっ、と微笑んだ。
最期の一段を残し、夾と同じ視線の前でひまりが立ち止まる。微笑む夾に情けない笑みを返した。
「おかえり」
「……ただいま」
「大丈夫、だった?」
どこかにケガはないか、異常はないか。ひまりは視線を夾の顔から全身へと移すが、それはすぐに戻される。
こっちむけ。無愛想な言い草で、ひまりの細い腕を僅かに引き寄せた。
最期の段を折りて、驚きながらひまりは再度彼の顔を見る。今度は見上げる形で。
そして瞠目した。
夾は微笑んだまま、水の膜を張った瞳を細め、唇を震わせていたのだ。