第11章 徒桜
ブラック降臨状態のお前の胸ぐらを掴んで、ただで済むわけないだろ。由希の言葉に納得の声を上げながら、その隣に腰を下ろす。
二人分の体重を支えるソファが、小さな悲鳴を上げた。
「じゃぁ、次からは……殴るようにする」
「しなくていい」
「大丈夫。綺麗な顔は、傷付けない」
「そういう問題じゃない」
由希は額を抑えた。軽口を叩く潑春に、パフォーマンス的にため息を吐いて見せてから話を戻す。
「でも正直、春も取り乱すかと思ってた」
「いや、結構、抑えるの必死。今でも、秒で、ブラックになれる」
だからその場にいたの、俺だったら、まぁ暴れてただろうね、取り返し、つかないくらいに。そう付け足した潑春の瞳には、確かに怒りが宿っている。
「どうしようもなかったんでしょ。溜め込み過ぎて。由希が俺のとこ、甘えに来てくれたのが嬉しかったから、それがストッパー、かな」
「……なんかそれ、俺が情けないって遠回しに言ってないか」
「いいんじゃない。情けないくらいで」
髪色と同じグレーの瞳に、不服の感情を込めて睨む。が、言葉を放った本人は特に揶揄した訳ではなさそうだった。
揶揄したのであれば、その反応を伺おうと視線はこちらに向けている筈。
しかし潑春は、机に置かれた電源の落ちたポータブルゲームに視線を向けており、真っ黒の液晶画面に人差し指を置いてトントンと叩いている。
トン、トン、……トン。テンポが遅れて響いた音を最後に、止まる。
潑春の視線が壁へと移る。何もない無機質なその場所に、何かを映しているかのように、見つめていた。
「ひまりのそれ。呪いのせいでも何でもなく、あの子の意志なんだとしたら、俺等、どうすれば……いいんだろうね」
憂いの奥に、静かな怒りを宿した双眼を細くする。壁の向こうに映すは、ひまりか、それとも慊人なのか。
潑春の横顔から、彼と同じ無機質なそこに視線を移す。
大きく吸い込んだ空気は、やけに重かった。
世の中にはどう足掻いても、どうにもならないことがある。十数年しか生きていないガキなら尚更。
いつかに見た、世の中の理不尽に奪われた命。ひまりから見えないように、自身の体で隠したその亡骸は惨いものだった。
白い線の上で横たわる小さな体の中心には、車のタイヤの跡がくっきりと残っていた。