第11章 徒桜
「……は」
潑春は揶揄するように上げていた口角を下げる。瞳からは陰惨さが薄れていき、もう一度吐息とともに、は、と出した声は僅かに震えていた。
「殺してやりたいと思った。本気で……。ひまりの首についた痣を見た瞬間、まるで俺じゃない何かに支配されたようで……正直、今でも俺自身が、怖い」
あれ程の怪物が、自身の中に眠っていることに初めて気付いた。本当にたまたまだ。今回、怪物が暴れ出さなかったのは。あの時ひまりが行動を起こさなかったら、慊人ではなくこちら側を止めようとしていたら。
きっと熱は冷めなかった。
ひまりが未だに縛り付けられているからこそ止まれた。その事実が、更に心の奥底を抉る。
由希がだらりと胸ぐらを掴んでいた腕から力を抜く。地を指す指先は小刻みに震えていた。
「心の何処かでホッとしてるんだ。罪を、犯さずに済んだことに……。けど、それってひまりが縛られたままで良かったって……」
喉につっかえて出なかった言葉が、腹の底に返っていく。
咽返りそうな嫌悪感に満たされた胃は、吐き出すことを許してはくれない。
いや、もしかしたら苦しみが欲しいのかもしれない。利己主義的な思想をしてしまった自分を戒めるために。
潑春が由希の両肩を軽く押した。力が抜けきっていた体は、何の抵抗も見せずソファに腰を鎮めた。
目を伏せていた由希は、視界の端に白に近い銀色が揺れたのが見えて睫毛を上げる。
しゃがんだ潑春の濃い金眼とかち合った。
ひとつだけとは言え潑春は年下だ。だが、そんなことを忘れてしまいそうな程に落ち着いた瞳。
あぁ、やっぱり。由希が力無く笑うと、潑春は微塵も表情を変えないまま首だけを僅かに傾げていた。
「春……本当はブラック降臨してなかっただろ」
「あれ。バレてたの……俺の、名演技」
「……本当にブラック降臨していたら、俺との喧嘩でこの部屋は形を失くしてるだろうし、今頃慊人の元に向かおうとする春を止めるので難儀してただろうな」
はは。もう一度力無く笑った。その顔に釣られるように潑春も、ふと笑う。
いつから気付いてたの?問う潑春に、まぁまぁ序盤。といつもの調子を何とか取り戻していた由希は、揶揄するように大きな瞳を半眼にして、肩を竦めて答えた。