第11章 徒桜
「アー、なに。由希姫様は怖気づいたってか?はっ、ンなら代わりにやってやるよ。惚れた女殺されかけて、無事だったからってアーヨカッタっつって見逃せる訳ねぇよなァ」
「……違う」
「ア?何が違ぇって?」
また、由希は押し黙る。立ち上がった潑春は、由希の目の前に立ち、冷酷に細められた瞳で見下ろした。
何か言えよコラ。気怠げな視線を向けてきた潑春に、鋭い視線を返す。だが口は噤んだままだ。
「とんだ甘チャンに成り下がったなァ?由希姫はよ」
乾いた笑いを浮かべた潑春に、首元がV字になった部屋着を引っ掴んで勢いよく立ち上がる。伸びた衣服ごと拳をひっくり返し、胸ぐらを掴み上げた。
鋭い視線のまま、だがぐしゃりと泣き出しそうに表情を歪ませた。
「じゃぁ、……それじゃぁどうすれば良かったんだよ!?」
ひまりの首に残った手の跡が鮮明に浮かぶ。あの焼き切れそうな熱も覚えている。
憎悪のみが膨らんで、腹の底に住む何かが皮膚を蹴破ろうと暴れまわっていた。
―――衝動に身を任せるは、ガキの所業だよ
分かっている。慊人と変わらぬことをしようとしていたことも。
それでも構わないから、この熱を発散させたいと倫理観を無視するほどの憎しみに支配されていたことも。
人は恐ろしい生き物だと、身を以て知った。
あの焼き切れそうな熱が、腹の底を暴れまわっていたものが鎮まったのは、絶望的な現実を目の当たりにしたからだ。
あの小さな背が蘇る。髪の隙間から見えたうなじにも、赤黒い跡がついていた。
「ひまりは、我を忘れた俺でも無く……その俺と対峙していた紫呉でもない。……慊人の元へ行ったんだ。何の迷いもなく駆け寄って、抱きしめて……守ったんだ」
呪いは解けている。間違いなく解けたのだ。"物の怪憑きの呪い"は。
物の怪憑きは神様の側から離れられない。その存在に見捨てられることに恐れ、どれ程に酷い仕打ちを受けても魂が求めているかのように神様の元へと還ってしまう。
それが解けた今、慊人に対して何の恐れも抱かなくなった。むしろあんなに小さかっただろうかと。何に縛られていたんだろうかと、不思議になる程。
縛られていた時の感情と、解放されてからの感情。両方を知っているからこそ、彼女の慊人に対する感情が、何か違うもののように思えて恐ろしかった。