第11章 徒桜
宵闇に追われた夕陽が身を引いていく。仄暗くくすみ始めた空に、追い打ちをかけるように紫煙が昇っていった。
側面と太脚に繊細な彫刻が刻まれた、高級感溢れる木製の座卓。
艶のある天板の上に、汚れひとつ見受けられない透き通ったクリスタルガラスの灰皿。そのガラスの脇を煙草で叩けば灰が散っていく。穢れた灰皿から、開いた襖の向こうに見える宵闇に目を向けた。
「もうすぐ月が出るねぇ」
どうにも捉えどころの無い表情で見上げながら、女中が慌ただしく廊下を行き来する音を肴に、もう一度肺の中を煙で満たした。そして吐き出す。どうにも捉えどころの無い自身の感情と共に。
「お前にとってこの状況は吉、だったのか」
廊下から姿を現したはとりは、視線も返事も寄越さぬ紫呉に僅かな溜息を吐き出して、その隣に腰掛ける。
スーツベストのポケットから取り出した煙草の箱から一本取り出し、薄い唇に咥える。
マッチを擦る音と同時に、ボッと勢いのある火に先端を近付け、眉根を寄せながら吸い込む。振って消した黒くひしゃげたマッチ棒は、汚れたクリスタルガラスに投げ入れた。
細長く紫煙を吐き出し、未だに視線を宵闇に向けたままの紫呉をちらりと見る。
「慊人は鎮静剤で落ち着かせた。ひまりは……今日はこっちで預かる。数日首の跡は残るだろうが、他は心配ない。由希にも帰る前にそう伝えている」
そう。はとりの話に興味無さげに応えると、フィルターのギリギリまで吸ったそれを灰皿に押し付ける。クリスタルガラスがその部分だけ黒く色を変えた。
落ち込んでいるのか、それとも本当に興味が無いのか。長年この食えない男と連れ添っているはとりですら、彼の今の心情が分からない。
ゆらゆらと読めない軌道を描いて昇っていく紫煙。それを眺めながら、まだ二吸いしかしていない煙草を灰皿に押し付けた。
「……これがお前の望んだ結果か」
「まぁー望んでなかったって言えば嘘になるよねぇ」
軽くそう言い放った。
はとりが眉根に濃い皺を寄せて鋭い視線を送る。
「お前ッ」
「けどね」
紫呉の視線の向こうに、闇を照らす月が顔を見せ始めていた。下瞼に影を作りながら瞳を細めている。
「それが責任だよ。それから逃げずに見届けることが、僕等の責任」
歪に歪められた瞳は、苦痛を表しているように見えて、はとりは何も言えなくなった。